相違あるは、即ち貴族政治と君主獨裁政治との相違ある結果である。
それと同時に人民の地位も著しく變化して來た。元來法治國とは違ひ、人民の權力を明らかに認める事はないけれども、人民の地位と財産上の私權とは、貴族政治時代と大に趣を異にするやうになつた。貴族時代には人民は貴族全體の奴隷の如く視られしが、隋唐の代となり、人民を貴族の手から解放して國家の直轄とし、殊に農民を國家の小作人の如く取扱ふ制度が作られたが、事實は政治の權力は貴族にあつたから、君主を擁したる貴族團體の小作人といふ状態であつた。土地の分配制度なども、かくの如き意義と密接の關係があり、殊に租税の性質は其意義を尤もよく現して居る。即ち唐代の租・庸・調の制度は、人民は政府に對して地代を納め、力役に服し、工作品を提供する意味のものであつた。唐の中世から此制度自然に壞れて兩税制度となり、人民の居住が制度上自由に解放さるゝことゝなり、地租などの收納も錢で代納することゝなつたので、人民は土地に拘束せらるゝ奴隷小作人たる位置から、自然に解放さるゝ端緒を開きしが、宋代に至り、王安石の新法によりて、人民の土地所有の意味が益々確實になつて來た。青
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