子を輔佐し、其責任を分ち、若くは責任を全く負擔する古代の宰相の俤はなくなり、君權のみが無限に發達した。唐の時の宰相は、皆貴族階級の中より出で、一度其位置に到ると、天子と雖も其權力を自由に動かす事が出來ない習慣であつたが、明以後は如何に強大なる權力を有する宰相でも、天子の機嫌を損ねると、忽ち廢黜せられ、一個の平民とせられ、囚人と墜さるゝ。宋代は恰も唐と明清との間に立つので、明清の如く宰相に權力がないといふ譯ではないが、天子の權力を笠に被て居る間は全盛を極めても、天子の背景を失ふと忽ち一匹夫となる。宋の寇準・丁謂、南宋の賈似道などの境遇の變化を見ても分るのである。地方官なども、唐代には、中央の權力と關係して、各地方に於て、殆ど君主同樣の權力を有するもの多き習慣なりしが、宋以後は、如何なるよき位置の地方官も、君主一片の命令で容易に交迭せらるゝ事となつた。宦官は天子の從僕であるが、唐代の宦官は天子の眷族の有力なる部分となつて、定策國老門生天子といふ諺さへ出來たが、後に明の時にも宦官が跋扈せるも、天子の恩寵あるときにのみ權力があつて、恩寵が衰へると其勢力は全くなくなる。唐と明との宦官にかくの如き
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