せたが、第一流の家柄は北方では博陵の崔氏、范陽の盧氏などにて、太宗の家は隴西の李氏で三流に位するといふことなりしも、此家柄番附は、天子の威力でもこれを變更する事が出來なかつた。南朝に於ても王氏、謝氏などが天子の家柄よりも遙に重んぜられた。是等は皆同階級の貴族の間で結婚をなし、それ等の團體が社會の中心を形成して、最もよき官職は皆此仲間の占むる所となつた。
 この貴族政治は唐末より五代までの過渡期に廢頽して、これに代れるものが君主獨裁政治である。貴族廢頽の結果、君主の位置と人民とが近接し來りて、高い官職につくのにも家柄としての特權がなくなり、全く天子の權力によりて任命せらるゝ事となつた。この制度は宋以後漸次發達して、明清時代は獨裁政治の完全なる形式をつくることゝなり、國家に於ける凡ての權力の根本は天子一人これを有して、他の如何なる大官も全權を有する事なく、君主は決して如何なる官吏にも其職務の全權を委任せず、從て官吏は其職務について完全なる責任を負ふ事なくして、君主一人がこれを負擔する事となつた。
 この二種の政治状態を比較すると、貴族政治時代に於ける君主の位置は、時として實力あるものが階級
前へ 次へ
全17ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング