はれ、主として彩色を主としたが、盛唐の頃から白描水墨の新派が盛んになつたけれども、唐代を通じては新派が舊派を壓倒する譯には行かなかつた。然るに五代から宋にかけて、壁畫が漸次屏障畫と變じて、金碧の山水は衰へ、墨繪が益々發達した。五代を中心として、以前の畫は、大體は傳統的の風格を重んじ、畫は事件の説明として意味あるものにすぎざりしが、新らしき水墨畫は、自己の意志を表現する自由な方法をとり、從來貴族の道具として、宏壯なる建築物の裝飾として用ゐられたものが、卷軸が盛んに行はれる事となり、庶民的といふ譯ではないが、平民より出身した官吏が、流寓する中にも、これを携帶して樂しむ事が出來る種類のものに變化した。
音樂も唐代は舞樂が主で、即ち音を主として、それに舞の動作を附屬さしたもので、樂律も形式的であり、動作に物眞似などの意味は少くして、ことに貴族的な儀式に相應せるものなりしが、宋以後、雜劇の流行につれて、物眞似の如き卑近の藝術が盛んになり、其動作も比較的複雜になつて、品位に於ては古代の音樂より下れるも、單純に低級な平民の趣味にあふ樣に變化した。其尤も著しき發達を表はしたのは南宋時代である。
以
前へ
次へ
全17ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング