然るに唐の中頃から古來の注疏に疑を挾み、一己の意見を立てる事が行はれた。其尤も早いのは春秋に關する新説である。其後宋代になると此傾向が極端に發達して、學者は千古不傳の遺義を遺經から發見したと稱し、凡て自己の見解で新解釋を施すのが一般の風となつた。文學の中でも、文は六朝以來唐まで四六文が流行したが、唐の中頃から韓柳諸家が起り、所謂古文體を復興し、凡ての文が散文體になつて來た、即ち形式的の文が自由な表現法の文に變つて來た。詩の方では六朝までは五言の詩で、選體即ち文選風のものが盛んであつたが、盛唐の頃から其風一變し、李杜以下の大家が出て、益々從來の形式を破る事につとめた。唐末からは又詩の外に、詩餘即ち詞が發達して來て、五言・七言の形式を破り、頗る自由な形式に變化し、音樂的に特に完全に發達して來た。其結果、宋から元代にかけて曲の發達を來し、從來の短い形式の敍情的のものから、複雜な形式の劇となつて來た。其詞なども典故ある古語を主とせずして、俗語を以て自由に表現するやうに變つた。これがために一時は貴族的の文學が一變して、庶民的のものにならんとした。
 又、藝術の方では、六朝・唐代までは壁畫が盛に行
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