た、歌の方なら古今集中に大切なことを拵へてそれを傳授するといふことになつたのであります。
それから源氏物語が大變尊重されました。是は藤原時代の小説でありまして、殊に男女の關係について當時の風習を隨分無遠慮に書いた本ですが、是が經國經綸の書として當時の人に尊重されました。詰り神祇や皇室を尊ぶ方の經典としては日本紀の神代の卷でありますが、源氏物語は一般の人情を知り、藝術の神髓を解するための經典として考へられました。足利の末年から豐臣、徳川の頃まで居つた人で有名な細川幽齋といふ人があります。是は戰國時代から古今集の傳授を傳へて居つた唯一の人で、關ヶ原合戰に丹後田邊の城に立て籠つた時にも、古今傳授が絶えるから殺してはならぬと朝廷から御使者を遣はされて戰爭をやめさせた位の人であります。其幽齋が門人の宮本孝庸の問に答へた事として
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ある時に孝庸玄旨法印に世間の便になる書は何をか第一と仕るべきと尋ねさせければ、源氏物語と答へたまひし。又歌學の博學に第一のものはと問はれば同じく源氏と答へさせたまふ。何もかも源氏にてすみぬる事と承りぬ、源氏を百遍つぶさに見たるものは歌學の成就なり
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