ら傳はつたものは、何んでものちに傳へたいといふ所から何も彼も書き込んだものと思はれます。兎に角騷亂の時に方つて古代文化の一端でも後に傳へたいといふ考が當時の人にあつたのでありませう。
尤も其後になりまして後陽成天皇の時、即ち豐臣秀吉の時代になつて天下が治まるといふと、舊儀復興が盛んになりまして、さういふ僅かに傳へられて居つた本などを根據として凡ての朝廷の儀式を復興しました。勿論昔のやうに完全に復古は出來ないけれども、是等の事は皆斯ういふ人が骨折つて古代の文化を殘さうといふ努力をした效能が現はれたのであります。
併し當時の全體の傾きはそれと違ひまして、凡ての文化といふものが大體特別な階級即ち當時迄政治に勢力のあつた貴族の階級から一般の階級に普及するといふのが、當時の實際の模樣であつたと思ひます。それは一つは自然に已むを得ざる所から來た點もありますが、それらの事を一二の例を擧げて申しますると、まづ伊勢の大神宮の維持法であります。伊勢の大神宮といふものは御承知の通り日本天子の宗廟でありまして大變大切なものであるから、昔から伊勢の大神宮と言へば一般の人民には參拜を許されてなかつたのでありま
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