藏だけは番人を置いて立ち退いたのです。所が果して大變な騷動になりました。それで屋敷位はどうしても燒かれるだらうが藏だけは殘るだらうと思つて居りました所が、一條家の家來共の智慧は禪閤以上に出て、藏にはいゝ物があるに違ひないといふので皆引出して、書物が貴いとか舊記が大事だといふやうな事にはお構ひなく、さういふものを皆どうかしてしまつたのです。當時の記録によれば、一條家の文書七百合が街路に散亂したといふことで、それを非常に悲んだといふことでありますが、樵談治要の著述などもさういふ所から來てゐるのでありませう。又斯ういふ人の事でありますから、古い文化を如何にしてか後に傳へたいといふ考が、燒き打ちをされてなくなる際においてもあつたに違ひないのであります。
 それからやはり群書類從の中にあります本で、兼良の作の「小夜の寢覺」といふものがあります、其當時現存の書籍が出來上る迄の來歴を書いたものでありますが、それには昔の修業の仕方をも書いてあります、詰り昔の文化を傳へる爲に書いたのであります。殊に私の感じたのは樂人豐原統秋といふ人の書いた體源抄といふ本でありまして、此の體源抄の體源は其の横に豐原の文字
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