たが、戰爭で高名をする者は却てそのやうな者に多かつたといつてある。それが後に應仁の亂の時分になると、自分のものを質において博奕をやるのでは詰らないといふので、他《ヒト》の財産を賭けて博奕をやるやうになりました。どこそこの寺には大變寶物があるらしいからそれを賭けてやるといふのでありまして、是はよほど進歩した博奕のやり方であります(笑聲起る)。この位共産主義のいゝ例はないと思ひます。共産主義もこゝまで徹底しなければ駄目です(笑聲起る)。斯ういふ時代といふものは、全く下剋上と同時に他《ヒト》のもの自分のものゝ見境がつかないといふ面白い現象が起つて居るといふことが分るのであります。
詰らない事を言つて居ると話が長くなりますが、そんな事が當時の状態であつたのでありまして、是が當時の文化にどういふ關係があつたかと言ひまするに、一條禪閤兼良といふ人は殊に舊い文化の滅亡に就て非常に慨嘆した人であります。それは一條家には非常に澤山の書籍記録などがありましたが、應仁の亂の時に、自分の家などは勿論燒かれるといふことを前から覺悟して居りましたから、自分が京都を立退いて暫く隱れる時に、それは覺悟の前で立退き、
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