て話しするといふ事も例のないことだが、今日はそれが出來るではないか、それが時なるべしと言つてゐるのでありまして、そこらが餘程皮肉に出來て居つて、當時の状態をよく現はして居ります。是は樵談治要と共に當時の状態相應の政治に對する意見であつて、さういふ意見が當時の人にあつた事が分るのであります。
 それで此の塵塚物語といふ本にかいてある事は本當か嘘か分らないですが、餘程面白い事の澤山ある本でありまして、足利時代殊に應仁前後に非常に博奕が流行つたといふ事を書いてある所など餘程面白く、近頃の支那を其儘見るやうであります。今でこそ日本は支那などに對して非常に秩序の立つた偉い立派な國のやうに言つて居りますが、矢張り時に依ては支那同樣の事が隨分あつたのであります。此の文中、博奕の事の中にも、當時足利時代に有名な徳政――即ち何年間に一遍凡ての貸借を帳消にしてしまふといふ政治の行はれた事なども書いてありますが、兎に角非常に博奕が盛んでありました。始めの間は武士《サムラヒ》など自分の甲冑を質に置いてやつたものです、それでどうかすると甲だけを持つて冑を持たないといふやうな武士もあつて、隨分見つともない話であつ
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