卦と大分相違するやうに思はれる。雜卦の順序が序卦と異なることに就いては、晉の干寶などからして已に注意せられ、又其の末尾の大過顛也以下數句が錯簡であるらしいとは、鄭玄、朱子なども注意した所であるが、しかし朱子は其の協韻の方から考へると錯簡らしくもないと言つて居り、蔡氏は協韻に差支へないやうに錯簡を改正して居るが、此の改定によつても、全體の順序が序卦と異なることは疑はれない。序卦は昔から其の淺薄を疑はれて居るものであるから、説卦や雜卦の方が古くからあつた各卦の原意を傳へてゐるのではないかと思はれるので、繋辭と序卦とはそれよりも晩く作られ、而して其作られた時代が大體爻辭の作り上げられた時代と同時だとすれば、爻辭の完成されたのは餘程晩い時代とならなければならぬ。予は嘗て本誌上に於いて説卦が爾雅の六畜の部と關係のあることを述べたことがあるが、それらの作られた時代よりも繋辭や序卦の作られた時代は更に降ることゝ思ふ。而して爻辭が現在の形にまとめられたのも或は漢初の頃ではないかと考へる。畢竟予の考ふる所は繋辭にある數の思想とそれから元來の易の意義に近い象即ち説卦が主として説いてゐる思想とは本來別々のも
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