ることが出來なくなつてくるので、畢竟易の爻辭の中には戰國の末から漢初に到る間に出來た語さへも含んでゐることを認めねばならないやうになるのである。史記の春申君列傳に春申君が秦の昭王に説くに、易を引いて狐渉水濡其尾といひ、戰國策には狐濡其尾に作つてあるが、今の易の未濟卦には小狐※[#「さんずい+乞」、よみは「きつ」、41−11]濟濡其尾とあることを王應麟の困學紀聞に指摘して居る。戰國の時、爻辭が今易の如く一定して居なかつた證とすることが出來る。
 王應麟は又禮記の坊記に不耕穫、不※[#「くさかんむり」の下に「輜」のつくり、よみは「さい」、第3水準1−91−1、41−14]※[#「余」の下に「田」、よみは「よ」、第4水準2−81−29、41−14]、凶、とあり、荀子非相篇に括嚢、无咎、无譽、腐儒之謂也、とあり、左傳の襄公九年に穆姜が元亨利貞を隨の四徳とした語のあるのを引いて、是説を爲す者は未だ彖象文言を見ざるかといつて居る。此等も彖象文言の古くないことを見はす者であるが、又爻辭に九六の字を用ゐたに就いても其餘り古くないことが考へられる。即ち左傳や國語に引かれてある易の語には九六の字が使用され
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