陰陽四時との關係を説いてあるのは、亦繋辭傳の太極、呂覽の太一を説くと類し、河出馬圖とあるは、繋辭傳の河出圖、洛出書と類し、その上秉蓍龜といひ、卜筮瞽侑、皆在左右といふは、いづれも兩者の關係を示す所の者であるから、畢竟繋辭傳、呂氏春秋並に禮運の三書は其製作の前後如何は論究せずとも、互に或る關係を持つものなることは推測し得ると思ふ。さうすれば其三書の製作せられた時代も大抵相距ること遠からざる者であるに相違ないから、恐らく繋辭傳は漢初の製作ではないかと考へられるのである。
以上は單に前人の考へたことに就いて一二の遺漏を拾つてみたまでゞあるが、更に進んで考へてみたいのは卦辭と爻辭の成立に就てゞある。尤も此のことに就いて、例へば升の卦の王用享于岐山、とか、明夷の卦の箕子之明夷などの語から推して爻辭が文王の作でなく周公の作であるとするやうな説は、孔穎達の正義などから存在するのであるが、其他にも之と相似た疑問を提出し得る者がある。例へば蠱の卦に不事王侯、高尚其事、とあるが如き、王侯を並べいふことは予が現に記憶する材料では、史記の秦始皇本紀二十六年、及び陳渉世家等であつて、春秋以前の語とは思はれない
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