四時成、湯武革命などゝいひ、象傳で治暦明時の義に解釋するのは、いづれも元來の意義でないやうに考へられる。又伊藤東涯は繋辭の中に包犧神農などを説いてゐることが、中庸の祖述堯舜、憲章文武の意味と合はないと述べてゐるが、一體上古帝王を數へるのに呂氏春秋尊師篇には神農、黄帝、※[#「「端」のつくり+頁」、よみは「せん」、第3水準1−93−93、39−6]※[#「王へん+頁」、よみは「ぎょく」、第3水準1−93−87、39−6]、帝※[#「學」の「子」が「告」、よみは「こく」、第3水準1−15−30、39−6]、堯、舜といふ順序になつてゐるから、繋辭傳に其上更に包犧を數へてゐるが如き、大體繋辭傳が呂氏春秋より新らしいものなることを想はしめるのである。元來呂氏春秋と繋辭傳とは其間に何等かの關係があるのではないかと疑はれるのであつて、呂氏春秋大樂篇に音樂之所由來者遠矣、生於度量、本卵セ一、太一出兩儀、兩儀出陰陽、とあるのは繋辭傳の太極生兩儀といふのと殆ど相似た思想である。それで清の惠棟なども既に之に注意し、其著易例の中に呂氏春秋の此文を引用してゐる。又禮記禮運も繋辭傳と關係あるらしく、其の太一と天地
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