の當否を再び吟味する必要はない程、分明なことであるが、歐陽修や伊藤東涯の已に注意した以外のことで予の少しばかり氣付いた所を擧げるならば、即ち十翼の中で比較的古いものと考へられてゐる彖傳象傳などの中に既に經文の原意を失つて特別な解釋を下したものゝあることである。尤もこれらのことは原則としては朱子なども夙に氣付いてゐたので、語類の中に、孔子之易非文王之易、文王之易非伏犧之易、伊川易傳又自是程氏之易也、と述べてゐる。但予の特に氣付いたのは、例へば大畜の卦の中で九三の爻には良馬の語あり、六四の爻には童牛之※[#「牛へん+告」、よみは「こく」、第4水準2−80−23、38−13]の語あり、六五の爻には※[#「豕へん+賁」、よみは「ふん」、38−14]豕之牙の語があつて、此卦は元來獸畜の意味であつたに相違ないのであるが、それを大象には、君子以多識前言往行、以畜其徳、とあつて、畜を養ふと解してゐるが如き、是れ明かに象傳の解釋が經文の原意と一致しないのである。又革卦に於て初九に黄牛之革といひ、九五、上六に、大人虎變、君子豹變といふ辭のあるのは、明らかに皮革の革の義であるらしく見えるが、彖傳では天地革而
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