がそのことについて言うよう。
「智恵があって、生死の出で難いことを知り、道心があって慈尊に会わんことを願うのは、殊勝のことのようであるが、よしなき畜生の趣《しゅ》を感ずることは浅ましいことである。これは浄土の法門を知らないからのことである。わしがもしその時分にこの法を発見していたならば、信不信を省みずお授け申したものを。極楽に往生した後は十方の国土を心に任せて経行《きょうぎょう》し、一切の諸仏思うに従って供養が出来る。なにもそう久しく穢土《えど》にいなければならないという筈のものではないのに、彼の阿闍梨ははるか後の世に仏のお出ましを待って現在に救わる道あるを知らずに池に棲み給うとは、おいたわしいことじゃ」
妙覚寺に妙心房といって評判の高い僧があった。道心が深いということで、寺門を出でず、念仏を行ずる有様は非凡で、帰依する人も盛んにあったが、五十歳ばかりで亡くなった。その時の臨終の有様がさんざんであったから人々がそれをあやしんで、
「妙覚寺の聖人でさえもあの通りの有様で往生が出来ない。まして外の人をや」
といいはやした。法然がそれを聞いて、
「さあ、それは本物ではあるまい。虚仮《こけ
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