むぎ》とあって百年念仏すべしとある。又法然上人も七万遍の念仏を唱えしめられている。わしも法然上人のお弟子の一分である。依って数多く唱えようと思うのだ。仏の恩を報ずるのだ」と。
法然はその手紙を見て返事を書いて基親の信仰をほめ、
「深く本願を信ずる者は破戒も省るに足らないというようなことは又お尋ねになるには及ばないこと。一念義のことは念仏の天魔、狂言だ」といって深くとりあげられなかった。
この成覚房の弟子達が、越後の国へ行って、一念義を立てたのを法然の弟子の光明房というのが心得ぬことに思って、それ等の連中の訪問を記して法然の処へ訴えて来たが、法然はそれにも返事を書いて、
「一念往生の義は京中にも略《ほぼ》はやっているが、言語道断のことで、まことに問答にも及ばないものだ」といいながらよく事理を細かに尽し、「凡《およ》そかくのごとき人は、附仏法《ふぶっぽう》の外道《げどう》なり。師子のなかの虫なり。又うたごうらくは、天魔波旬《てんまはじゅん》のために、精気をうばわるるの輩。もろもろの往生の人をさまたげんとする歟《か》、尤《もっと》もあやしむべし。ふかくおそるべきものなり。毎事筆端につくし
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