ものを売買して家計をたてつつ独り身で自由に生活していたが、往生際がとても美事で、念仏の声が止まったかと思うと本尊に向って端座合掌したその顔は笑めるが如く、そのままで往生していたので、諸人が雲の如く集ってその奇特に驚きあったとのことである。
二十一
法然が常によく云いつけていた言葉のうちから幾つかを抄録して見る。
「念仏申すにはまたく別の様なし。ただ申せば極楽へむまると知って。心をいたして申せばまいるなり」
又云う。「南無阿弥陀仏というは。別したる事には思うべからず。阿弥陀ほとけ我をたすけ給えという言葉と心得て。心には阿弥陀ほとけ。たすけ給えとおもいて。口には南無阿弥陀仏と唱えるを。三心具足《さんじんぐそく》の名号と申すなり」
又云う。「罪は十悪五逆《じゅうあくごぎゃく》の者。なおむまると信じて。小罪をもおかさじと思うべし。罪人なおむまる。いかにいわんや善人をや。行は一念十念むなしからずと信じて。無間《むけん》に修すべし。一念なおむまる。いかにいわんや多念をや」
又云う。「我はこれ烏帽子《えぼし》もきざる男なり。十悪の法然房|愚癡《ぐち》の法然房が。念仏して往生
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