言《ごと》を云う者があって、あの池の蓮華をあれは蓮華ではない、梅だ桜だと云うた者があってもお前はそれを信ずるか」と尋ねられたから、随蓮が、
「現に蓮華であるものを如何に誰れが桜と申しましょうとも梅と申しましょうともそれが信ぜられましょうや」
 法然が曰《いわ》く、「念仏の義もまたその通りじゃ。わしがお前に念仏をして往生することはきまりきって疑いがないと教えたのをお前が信じたのは蓮華を蓮華と思うのと同じことだ。他から梅といわれようとも、桜といわれようともそれを信じてはならぬ」といわれるのを夢に見て、近頃の疑念が残りなく晴れ、往生の素懐《そかい》をとげたということである。
 法然は人によって三心のことを説かれたけれども、三心に捉われて却って信心を乱ることをおそれたのである。遠江《とおとうみ》の国久野の作仏房《さぶつぼう》という山伏は、役《えん》の行者の跡を訪い、大峯を経て熊野へ参詣すること四十八度ということであるが、熊野権現の前で祈っている時、法然房に出離の道を尋ぬべしというお示しを受けたというので都へ上って法然の教化を受けて念仏の行者となった。それから本国に下って市に出て染物などのような
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