ぐさめていたが、愈々徒然の心が旺《さか》んになって、故郷を思う心ばかり多く極楽を願う心は少なくなってしまいました。これでは全く予期する処とちがった無益の住居と思って、折角好意を持ってくれた地主の尾入道にも辞《ことわ》りも云わないで逃げ上って来ました」
 法然はその率直な言葉を喜んで、
「道心のないものにはこの心は無いことだ」
 といって賞めた。
 それから西仙房は姉小路、白川祓殿の辻子という処に妹の尼さんが住んでいた。庵の後ろに廂《ひさし》をかけて自分の身一つが納まるだけに藁《わら》でもって囲いをして、そのうちに籠って紙の衣を着て、食時便利の外には一向に念仏をしていた。小さな土器《かわらけ》を六つ並べて香をもり、火を消さず、とり移しとり移して、念仏して、人にも会わなければ全く別世界を劃していたが、元久元年の冬|臨終正念《りんじゅうしょうねん》にして端座合掌、高声念仏して息絶えた。その室内が三年程香ばしかったという。着ていた処の紙の衣によき匂いがあるので、訪ねて来たものが皆それを分けて貰って行った。最期の時には貴賤男女が沢山集って結縁したが、大番の武士、千葉六郎大夫|胤頼《たねより》それ
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