はまだ大僧都であった時に、法然の識論を破るといって、
「公胤が見た文章を法然房が見ないものはあるとしても、法然房が見た程の文章を公胤が見ないのはあるまい」と自讃して浄土決疑抄三巻を著わして撰択集を論難し、学仏房というのを使として法然の室へ送った。法然はその使に向ってそれを開いて見ると、上巻の初めに、
「法華に即住安楽《そくじゅうあんらく》の文がある。観経に読誦大乗《どくじゅだいじょう》の句がある。読誦の行をもってしても極楽に往生するに何の妨げもない筈だ。然るに読誦大乗の業を廃して、ただ念仏ばかりを附属するということは、これ大きな誤りである」
と書いてあった。その文を法然が見て、終りを見ないで差置いて云うのに、
「この僧都、これ程の人とは思わなかった。無下《むげ》のことである。一宗を樹つる時に彼は廃立《はいりゅう》のむねを知って居るだろうと思われるがよい。然るに法華をもって観経往生の行に入れられることは、宗義の廃立を忘るるに似ている。若しよき学生ならば観経はこの爾前《にぜん》の教えである。彼の中に法華を摂してはならないと非難をせらるべき筈である。今浄土宗の心は、観経前後の諸大乗経をとっ
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