当時|御影堂《みえいどう》にある木像がそれである。

       三十八

 法然の最期の前後にその門徒の人々が様々な夢を見たり、奇瑞《きずい》を見たりしたことがある。参議兼隆卿は上人が光明遍照の文を誦して往生する処を夢み、四条京極の簿師真清は往生の紫雲と光りと異香とを夢に見、三条小川の陪従信賢が後家の養女、並に仁和寺の比丘尼西妙はその前夜法然の終焉《しゅうえん》の時を夢み、その他花園の准后の侍女参河局、花山院右大臣家の青侍江内、八幡の住人|右馬允《うまのじょう》時広が息子金剛丸、天王寺の松殿法印、一切経谷の袈裟王丸、門弟隆寛律師、皆それぞれ法然の往生を夢みて一方ならぬ奇瑞を感得している。
 法然の住居の東の岸の上に、襾《おお》われた勝地がある。或人がこれを相伝して自分の墓と決めておいたが、法然が京都へ帰った時、その人がそれを法然に寄進した。法然が往生の時ここへ廟堂を建てて石の空櫃《からびつ》を構えて収めて置いた。この廟所についても多くの奇瑞が伝えられている。この地の北の庵室に寄宿している禅尼、地主、その隣家の清信女だとか、清水寺の住僧別当入道惟方卿の娘粟田口禅尼というような人がふし
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