心《しじょうしん》。二には深心《しんじん》。三には廻向発願心《えこうほつがんしん》なり。三心を具せるものは。かならずかの国に生るといえり」
 又或人が往生の用心に就て覚束ないことを百四十五条迄書き記して法然に尋ねたが、法然は一々それに返事をした。そのうち少々抜き書きして見ると、
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
(問)念仏には毎日数を決めないで読んでもよろしゅうございますか。
(答)数を決めないというと怠り勝ちになり易いから数を決めて称えるのがよろしい。
(問)一日に幾度位唱えたらよいでしょうか。
(答)念仏の数は一万遍をはじめて二万三万五万六万乃至十万迄申します。そのうちをお心任せの程おやりなさい。
(問)歌を詠むということは罪でございますか。
(答)強《あなが》ちに何とも云えない。罪ともなれば功徳ともなる。
(問)酒を飲むのは罪でございますか。
(答)本当は飲まないがよいけれども、この世のならい。
(問)魚鳥を食い、いかけ(身を清むること)して経を読んでもようございますか。
(答)いかけして読むのが本体である。しないで読むのは功徳と罪と両方になる、但しいかけしないでも、読まないよりは読む方がよろしい。
(問)六斎ににら[#「にら」に傍点]やひる[#「ひる」に傍点]を食べるのはどうですか。
(答)食べない方がようございます。
(問)破戒の僧、愚癡の僧を供養するのも功徳でございますか。
(答)破戒の僧、愚癡の僧も末の世には仏の如く尊むことになっている。
[#ここで字下げ終わり]

       二十三

 或人がまた往生の用心に就て、条々の不審を尋ねた時に、上人の返事のうちに、
「足なえ腰いたるものの。とおき道をあゆまんと。おもわんに。かなわねば船車にのりてやすく行くこと。これわがちからにあらず。乗物のちからなれば他力なり。あさましき悪世の凡夫《ぼんぷ》の。諂曲《てんごく》の心にて。かまえつくりたるのり物にだにも。かかる他力あり。まして五劫《ごこう》のあいだ。思食《おぼしめ》しさだめたる。本願他力の船いかだにのりなば。生死の海をわたらん事。うたがい思食すべからず」
「魚鳥に七箇日の忌の候《そうろう》なる事。さもや候らん。えみ及ばず候。地体はいきとしいけるものは。過去の父母にて候なれば。くうべき事にては候わず。又臨終には。酒魚鳥|葱《そう》薤《かい》蒜《ひる》などは。いまれたることにて候えば。やまいなどかぎりになりては。くうべきものにては候わねども。当時きとしぬばかりは候わぬ病の。月日つもり。苦痛もしのびがたく候わんには。ゆるされ候なんと覚《おぼ》え候。御身おだしくて。念仏申さんと思食して。御療治候べし。命おしむは往生のさわりにて候。病ばかりをば。療治はゆるされ候なんと覚え候」
 鎮西から上って来た或る一人の修行者が法然の庵室へまいって、まだ上人に見参しない先きに、お弟子に向って、
「称名の時に仏様の御相好《おそうごう》に心をかけることはどうでございましょうか」
 と尋ねた処が、お弟子が、
「それは芽出度いことであろう」
 と独断で答えたのを法然が道場にあって聞いていたが、明り障子を引きあけて、
「源空はそうは思わない。ただ若我成仏《にゃくがじょうぶつ》。十方衆生《じっぽうしゅじょう》。称我名号《しょうがみょうごう》。下至十声《げしじっしょう》。若不生者《にゃくふしょうしゃ》。不取正覚《ふしゅしょうがく》。彼仏今現《ひぶつこんげん》。在世成仏《ざいせじょうぶつ》。当知本誓《とうちほんぜい》。重願不虚《じゅうがんふこ》。衆生称念必得往生《しゅじょうしょうねんひっとくおうじょう》と思うばかりだ。われ等が分で如何に観じたとても本当の姿が拝めるか。ただ深く本願を頼んで口に名号を称えるだけじゃ。それがいつわりのない行であるぞ」といわれた。

       二十四

 法然の曰《いわ》く、「阿弥陀経はただ念仏往生のみを説くと心得てはならぬ。文に隠顕はあるけれど凡《およそ》[#ルビの「およそ」は底本では「おそよ」]の処は四十八願を悉《ことごと》く説かれてある訳である」
 法然が云う、「諸宗の祖師はみんな極楽に生れている」
 或時聖光房、法力房、安楽房等の弟子達と往生の話をしていた。その時、
「往生は念仏を信ずると信ぜざるとによるので、罪悪のあるとないとによらない。既に凡夫の往生を許す上は何ぞ妄念の有無を嫌うべきや」
 そこで安楽房が問うて云うのに、
「虚仮《こけ》の者は往生しないというのはどのように心得たらよろしゅうございますか」
 法然が答える。
「虚仮というのは事更に飾る手合いをいうのである。自然に虚仮であるぶんには往生の障《さわ》りにはならない」
 是等の問答のうちお弟子はみんな落涙をして感心したそうである。
 元久二年正月
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