を原始生活に押し戻すという消極的の夢想ではなく、最も原始的根本的であると共に、あらゆるリベラリズムも、ソシアリズムも皆卒業した後の断案であると、弥之助は信じて居る。処がこれと略々《ほぼ》同意見をこういう思いがけない、失礼ながらペラペラ雑誌の紙面で発見しようとは案外であった、弥之助は取りあえずその雑誌社へ向けて次のような葉書を書いた。
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貴店益々御清栄奉賀候、略儀ながら取りあえず葉書を以て申上候儀は貴店御発行の能率新報最近号のうち「国民皆農私説」は非常なる御卓見と存じ、日頃小生も御同様問題に就き思考致候折から右御一文を何卒小生著作中へ転載の事御許容下され度御願申上候 早々不備(昭和十三年三月○日)
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程なく筆者阿部彰氏から鄭寧な快諾の御返事を受けた。
二十九
百姓弥之助の植民地では四頭の豚を飼っている。
豚の飼養は農家副業としては、先ず収入になる部に属し、此処の案を立てた人は、大いに豚を飼う方針で、菊芋を盛んに植えたものである、菊芋という奴はたしかに豚の飼料には宜《よろ》しい、第一その繁殖力が盛んで、萌《も》え出してか
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