機械が相依り相助けて行く世の中に是正は出来ないものか。
二十七
三月の半ば百姓弥之助は東京から帰り道、武蔵野原の自分の山林へと立ち寄って見た。
松林はよく掃除されている、雑木林の落葉は、まだ手廻り兼ねて大部分残されている。
百姓弥之助は山林が好きで、殊に武蔵野の雑木林と来ては、故郷そのものの感じである、本来はこの雑木林の中に家を建てたいのだが、何分|此処《ここ》は水の手が無い、植民地のある処は四十尺も掘れば水に不足は無いが、それから十余町離れたこの地点では百尺以上も掘らなければ水が出ない、それでもどうかすると当り外れがある、それが為に、この雑木林の中の生活を思い止まっている。それでも、この近いところへ最近バラックを一つ建てた人がある、そこへ寄って見ると、越後から来たという青年が、たった一人でこの小屋を守っていた。別だん思索哲学に耽《ふけ》る目的ではなく、百坪ばかりの地を求めて、自ら耕作もし、日雇取りにも行く、水はどうすると云えば、数町離れた葡萄園《ぶどうえん》から貰うのだと答える。
曇り勝ちで、今にも雨が落ちて来そうだが、存外長持がしている、植民地へ着いて見た
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