て地殻設備は完全にするつもりだ、一たい農業も、自家で取り上げた穀を精米所へやって搗かせるのでは徹底しない、砂を入れて搗くとか、ゴムロールは胚芽の精分をすっかり磨りつぶして死米としてしまうとか、そういう事は別として、搗き上げるまで、どうしても自家でやらなければ、九仭《きゅうじん》の功ということになり兼ねないと思われる。今時、電気と機械の世の中に、じったんばったんと、原始的労力を加えるなどは、福沢流に体育化しない限り、不経済の極《きわみ》と云わなければならないが、ああしていると全く安心の出来る食料が得られるし、その搗き砕けや糠《ぬか》は、家畜の飼料その他に有力な利用となる。
 すべて機械文明というものは、劇薬的のもので、人目を驚かす偉力を発揮して今日に至っているけれども、これを永久に平均した人体或いは団体健康の上から見ると大きなる疑問がある。すべての仕事を一度原始的に引き戻して、人間自然の発祥から比較検討し直して見ることの予習をやって見る必要は無いか。
 人間が機械を駆使して自然を征服した、今度は機械が人間を駆使してこれを征服するの時代となるのではないか、どうかそうでない様にしたい、人間と
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