たるところの、溌剌《はつらつ》たる肉体の自由がある、弥之助は都会のどんな大廈《たいか》高楼にも魅惑を感じないが、この原始的生活の植民情味というものには、渾身の魅惑を感じない訳には行かない。弥之助の最初の理想では植民は侵略ではない、侵略と全く違った天業である、この点では清教徒の北米移住を少年時代に読んだ文字のままが先入主となって、人間の清新にして真正なる自由は植民の天地にのみ求め得られるような夢が今だに去らない。
従って百姓弥之助は植民は即ち宗教だという先入主から離れるわけに行かぬ、凡《およ》そ侵略とは根本から種苗を異にしたものが即ち植民である。
北米と南米とは、どうしてああまで開発の相違があるか、地味に於て物資に於て寧ろ北来に優る南米が、何故に文化に遅るること今日の如きか――という問題に答えたある人の答えを記臆している。
北米を開いたものは信仰の人であった、が、不幸にして南米に着手した人は掠奪の人であった、北米には自由を求めんが為に、信念の鍬を打ち込んだ人が渡ったが、南米には富と物資を覘う我利我利が走《は》せつけた、北米に植民した人はその土地を己《おの》れの土地として、神の土地と
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