を立てる法へ進出して来た。そうして天下国家の事から失物《うせもの》判断縁談金談吉凶禍福に至るまでを易を立てて自ら楽んだり人に施したりして、自分の易断の自慢話を初める。弥之助の父親なども、それを聞かされているうちに、よく居眠りをしてしまう、相手が居眠りをしても何でも話す方は一向ひるまず、一人がてんでから/\と高笑いを交えながら話し立てて、とうとう鶏が鳴いてはじめてやっと気がついてあわてて帰るところなど、弥之助も炉辺に傍聴して見きわめた事である。易断に凝《こ》った結果、或学者の紹介で横浜の高島嘉右衛門に入門し、そのすすめで易経の暗誦を初め、田や畑の中で朗々と易経を唸《うな》りながら仕事をするのをよく見かけたものだ。弥之助は少年時代この人について少々漢学を習い、また初めてこの人につれられて東京へ出て来た縁故がある。
 是等は皆その当時の村の畸人《きじん》の一部であるけれども、今ではこういった様な桁外《けたはず》れの人間はすっかり影をひそめてしまって、製造した様な人間のみ多くなってしまった、丁度田圃が碁盤の目の様に整理されてしまい、水道がコンクリートの護岸で板張の様な水底に均《な》らされてしま
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