な料理店の、相当多数を味わった事もあるが、その店独得の品物や腕前は別として、野菜類などに至ると、どんな腕前を見せた料理でも、弥之助自身が畑から取って来て荒らかに、手鍋の中にぶち込んだ風味に及ぶものはない、それは海岸に於ける魚類に於ても云える事で、ピチピチと網にはねる魚をつかまえて来て直に鍋に入れるという風味は、都会のどんな料理店でもやれない。今日都会の料理店に来る材料は、来る前にもう死んで居るのである、如何に名人上手の庖丁でも死んだものを活かす訳には行かぬ。
昔江戸時代の料理が、非常に贅沢で高価であって、八百膳などでも茄子《なす》を鉢植のまま食膳に出し、客が鋏《はさみ》でそれをちぎって食うという、そうして茄子一個の値が一両とか二両とか云われて、涼しい顔をして、それを仕払ったというような話も、あながち悪趣味から来る、豪華の衒《てら》いというわけではなく、何か茄子そのものの味に、千金にも替え難き新鮮味が味わえたからではなかったか。
また別に初松魚《はつがつお》などを珍重して、借金を質に入れてまで馬鹿な金を出して、それを買って食うという様な気風も単に江戸ッ子としての見栄《みえ》から来て居
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