その儘東京へ帰って、直ちに実行して見たが、たちまち激烈に胃を痛めて今日迄その負傷が残って居る、生食に一面の真理はあるにしてからが、それを行うに体質と心境と環境と歴史を考えなければ、却《かえ》って身体を損うようになってしまう、今の人間が純生食をやって見ようとするには、火食に慣らされた胃の腑を徐々に訓練してからでないと、却って有害な結果を見るのである、だから、弥之助は生のものそのものに本来の美味があると云われたからとて、現代人に向って直に生食をなさいとは云わない、必ず相当の料理法を行ったものをお食べなさいと云う。
そこで料理法というものが登場して来るのだが、これは人間の技巧でその巧拙には際限がない、料理に依って物それの味わいを活殺する事もまた人の知るところである、如何に材料が新鮮優良でも料理の手一つで活かしも殺しもすればこそ割烹店《かっぽうてん》というものが広大な構えをして、成立って行くのであるが、同時にまた所謂《いわゆる》巧妙な発達した料理というものが、却って材料を殺してしまっているという例がいくらでもある、殺してしまって居るのではない、活かし得られないのである。
弥之助は東京の有名
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