工物よりも、目に見えない所に稀薄があるものである。値段の標準を知るにはデパートがよいとしても、好い物を買い、旨《うま》いものを食べ度いと思えば、信用のある中小店の方がよろしい。
そんな様な意味を食物の上に押しつめて行くと、木当のうまいものを食べ様と思えば手料理に限るのである。
弥之助は三十年来も自炊生活をして居るが、これは特種の性癖であって、決してうまい物を食べ度い贅沢から来て居るのでは無いけれども、その性癖の結果、弥之助独特の美味求真術を悟ったという次第である。
一体物それ自身の美味は、生《なま》の物に備わって居るに相違ない、だから生食が自然だというのは、一理窟あるけれども、また半面を忘れた大きな欠陥もある、これに就いて弥之助は一つの大きな失敗談を持って居る。それは次のような話である。弥之助が二十何歳の時分の事であった、東京附近の或るお寺の若い住職で生食をもっぱらとする僧侶があった、豆類や野菜を洗って生の儘《まま》、重箱に入れて置いて、絶えずそれを食べて一切の火食をしない、そこに本当の味があり健康があるという話を聞いたから、弥之助はその僧侶を尋ねて、生食の福音《ふくいん》を聞き
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