るのではない、死んだ材料にばっかり慣らされて居た当時の都会中心人が、新鮮味に餓《う》えていた変態から出でたのかも知れない、そうしてもう一つは、江戸時代は今より土地の面積も鷹揚《おうよう》であったものだから、名ある料理店となると近い所に、自家の野菜園を持って居たり、堀の外がすぐ農家の畑であったりして、今よりはずっと生きた材料が使えた為に、繁華なお店の台所に腐っていた町人の味覚が飛びつくように新物に随喜した所以《ゆえん》ではないかとも思われる。
果物についても同じ様な事が云える。近来の果物は出来た果物では無く、こしらえた果物である。スポーツでこしらえた肉体のように豊かには見えるが、引き締まった味というものが無い。弥之助の青年時代には林檎などは高級の果物の方で、書生でこれを食うのは奢《おご》りの方であったが、近ごろは、有ゆる果物が進歩した栽培法によって一般国民の間に多量豊富に供給されるに拘《かかわ》らず、本当に旨《うま》いと思う果物を食べたことが無い。
底本:「中里介山全集第十九巻」筑摩書房
1972(昭和47)年1月30日発行
底本の親本:「百姓弥之助の話 第一冊 植民地の巻
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