でなければならぬ。
実例は皇軍である。皇軍は人類平和のために戦つてゐる。常に備へられてある。
皆農は大自然と戦ふのである。大自然をして主食物を作らしめるのである。これも常に備へられてあるべきだ。
今日の農業の如く、志願主義――志望主義では面白くない。
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 百姓弥之助も以前からこれと同様の事を考えて居た。
 いつかこれを最も組織的に「徴農論」という一書を書いて見たいと思って居たのである。弥之助の考うる所では、世界の本当の平和というものは皆農基本から出直さなければ到底実現されるものではない。国民に徴兵制度を布《し》くように、農はただ国民だけではない、広く人類一般にこれを施行する事に依って初めて人類が生活の真正の安定心を得る事が出来、国際的摩擦というものが、そこから緩和もされ解消もされるのである。
 即ち人間の経済生活を貿易本位から生産本位に引き直すのである。そうして生産本位を農業に限定するのである。この主義は今迄の経済学と生活法則とを根本から革新する最も徹底した着実の方案で、戦争の絶滅、国際関係の破局を救う可《べ》き最後の最善の断案だと弥之助は信じて居る。それは人類を原始生活に押し戻すという消極的の夢想ではなく、最も原始的根本的であると共に、あらゆるリベラリズムも、ソシアリズムも皆卒業した後の断案であると、弥之助は信じて居る。処がこれと略々《ほぼ》同意見をこういう思いがけない、失礼ながらペラペラ雑誌の紙面で発見しようとは案外であった、弥之助は取りあえずその雑誌社へ向けて次のような葉書を書いた。
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貴店益々御清栄奉賀候、略儀ながら取りあえず葉書を以て申上候儀は貴店御発行の能率新報最近号のうち「国民皆農私説」は非常なる御卓見と存じ、日頃小生も御同様問題に就き思考致候折から右御一文を何卒小生著作中へ転載の事御許容下され度御願申上候 早々不備(昭和十三年三月○日)
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 程なく筆者阿部彰氏から鄭寧な快諾の御返事を受けた。

       二十九

 百姓弥之助の植民地では四頭の豚を飼っている。
 豚の飼養は農家副業としては、先ず収入になる部に属し、此処の案を立てた人は、大いに豚を飼う方針で、菊芋を盛んに植えたものである、菊芋という奴はたしかに豚の飼料には宜《よろ》しい、第一その繁殖力が盛んで、萌《も》え出してからは、苅《か》っても苅ってもあとからあとから成長する、併し、良畑をつぶしてこれを多量に植えることは考えものである、不用の空地や、地境等に植えて置くと宜しい。
 コロと称する二貫目位の子豚を買い入れて来て、これを半年以上飼養して二三十貫にして売り出すのであるが、昨今のつぶしは一貫目一円五六十銭から九十銭程度である。飼料や手当等を数えたら、そう大して利益とてはあるまいけれど、肥料の収穫が大きいし、また専門的に百頭千頭と飼養すれば相当な事業になる。つぶしに売ることをしないで別に種とりをやり、子を産ませると、その方が利益になる、ここの本村では全国的には豚の飼養が優秀なものだそうであって他府県へも輸出されるとの事だ。
 ここから三里離れた飛行場で有名な立川には岩崎家の子安養豚所がある、これは飛行場よりは寧《むし》ろ草分《くさわけ》なのであるが、さすがに岩崎家のものだけに全国一とか東洋一とかいうもので、ここには西洋から、一頭何千円もする種類の種豚が沢山に集められてある、弥之助も一度これを参観したことがある、所では快《こころよ》く場内を見せて呉れたが、ここの種豚の合格品は非常に高価で売買されるが、その不合格品でさえ一頭数十円で希望者に応じきれない、普通この辺の農家でたちのいいのでも豚コロは五円内外に過ぎないが、岩崎のは不合格品で、四十円もすることになっている。
 豚という奴は食う為に生きていて、食われる為に死んで行くように出来ている。廃物でも腐敗物でもこれでイヤと云うことを云わない、フーフー吹いて貪《むさぼ》り食う有様は寧ろ痛快と云いたい位である、この豚でさえ、仕つけると相当の礼儀作法は覚える。
 子馬も一頭奥州から買入れて飼養したけれど、手数が煩わしいので売り払ってしまった。
 犬は一頭いる、凡犬だけれども、よく吠えるので用心にはなる。
 なお、この辺では狐を飼っている処も、狸を飼っている処もある、養魚池もある、養蚕は全国的にも歴史を持つ地方である。いずれ、それ等の副業、自分がやらないまでも調査研究はして見たいつもりでいる。
 鶏は白色レグホン種を十羽飼養している、三カ月ものを一羽一円ずつで仕入れて五カ月目から産卵をはじめた、良卵を相当に産む、多い時は一日七箇、少ない時は三箇位の産卵、産まない日は無論一つも産まないのである。すべて市場へ出す卵は幼鶏をブローカーから買求めて飼養す
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