機械が相依り相助けて行く世の中に是正は出来ないものか。
二十七
三月の半ば百姓弥之助は東京から帰り道、武蔵野原の自分の山林へと立ち寄って見た。
松林はよく掃除されている、雑木林の落葉は、まだ手廻り兼ねて大部分残されている。
百姓弥之助は山林が好きで、殊に武蔵野の雑木林と来ては、故郷そのものの感じである、本来はこの雑木林の中に家を建てたいのだが、何分|此処《ここ》は水の手が無い、植民地のある処は四十尺も掘れば水に不足は無いが、それから十余町離れたこの地点では百尺以上も掘らなければ水が出ない、それでもどうかすると当り外れがある、それが為に、この雑木林の中の生活を思い止まっている。それでも、この近いところへ最近バラックを一つ建てた人がある、そこへ寄って見ると、越後から来たという青年が、たった一人でこの小屋を守っていた。別だん思索哲学に耽《ふけ》る目的ではなく、百坪ばかりの地を求めて、自ら耕作もし、日雇取りにも行く、水はどうすると云えば、数町離れた葡萄園《ぶどうえん》から貰うのだと答える。
曇り勝ちで、今にも雨が落ちて来そうだが、存外長持がしている、植民地へ着いて見たが、変った事は無い、麦が青い色をしている、四頭の豚も、十羽の鶏も、二匹の猫も健在だ。
今年の冬は、好天気続きで降雨降雪というものが甚だ少ないから、麦の出来が、どんなものか知らん――予想した人によると、今年は麦が不作だろうと云っているものがある、が大した事はあるまい、収穫時の降りだけが気にかかる。
ずっと離れた道路面に置いてあった印刷工場を門内の道場の中に取り入れた、小野生が一人その中で頻《しき》りに植字文選をしている、志村生は休み、活版所を継続するに就いては、二三十年来、弥之助は並々ならぬ苦しみをしている、これに投じた費用労力も尠《すく》ないものではない、いつも功が労に伴わない恨みがあって、放棄して専門店に任せた方が、すべてに便利だとは思うけれども捨て難い、小さくとも手許に自己の活版所を持っているということには、計数の出来ない利便がある、それでも、ボツボツと集めたり放したりしているうちに、八ポの活字と九ポの活字で、先ず一通りの用は足りるだけになっている、このあたり三郡を通じて、これだけ豊富に活字の揃っている工場は無い――(ただ一箇所の東京出版の会社を除いては)――ということになっている。九ポの方は、もう大ぶ磨滅したから、鋳込《いこみ》直しをしなければならない。
二十八
百姓弥之助は毎月数十種の雑誌に眼を通して居る、それはほとんど全部が皆交換寄贈を受けるものであった。それを弥之助はことごとく眼を通して居る、どんな小さい引札の様なものでも、読まないと云う事はない、そうして読んだ後は要領の索引を作って併せて保存して置く。今日は「能率新報」と云って、失礼ながらたった四頁の引札がわりの、ちらしのような雑誌、神田の阿部商店という「名宛印刷器」製造元の機関紙であるが、その中で次のような一文を発見した。
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国民皆農私説
私は「国民総耕作」と言つたことがある。池田林儀が独乙《ドイツ》留学から帰つて「優生運動」といふのをやり出した時、その雑誌に書いたのである。十五年もまへだ。
国民皆兵である如く、吾々《われわれ》は皆農でなくてはならぬといふのである。兵役に服すると同様に、一生のうちの一二年間、農業に従事して、その年中の国民の主食物を収穫するのである。
この方法を繰返してゆけば、日本人は、皆自ら耕した所の米を生涯たべる権利と余裕とを持つことができるのである。
青年の労働国家奉仕も、この方法でできる。現在の農家ではできぬ治水、開墾などもできる。
日本中の田畑を耕やすのに、何人入用かは計算できる。その人数を国民のうちから年々徴農するのである。
現在の専門農夫は、指導員、准尉、部隊長であつてよろしい。そのうちにだんだん、整理されていく。
今次の応召家族の間には、はき立てた秋蚕《しうさん》を棄てた家もあつた。秋の穫入《とりい》れを老母と、産後の病妻とに託さねばならなかつた人もあつた。
吾々は米と麦とをたべて、日本の地の上に生活するのである。その主食物を各自の共力で収穫することは何より愉快である。
在郷軍人が、現役兵の話を聞いて昔を偲《しの》ぶごとくに、吾々は、毎朝米を食ふごとに、昔の服農を思ひ出すことができる。
農は百業の基《もとゐ》である。吾等は地を離れて生活できない。
土に親しむことは青年修養の一つでもある。大自然の恩恵とその暴威とを知ることでもある。
常に日を拝む百姓では駄目である。日照、霖雨《りんう》、風害には、これと戦つて勝つ機械化した農でなければならぬ。
それには、国民を総動員したる所のブレーントラスト
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