つき込んでザックザックとやるのである、人が行けばそれにつれて狸もまた先へ先へと尻尾を洗いながら逃げて行くのだなどと誠しやかに解釈する子供もあったが、勿論《もちろん》その正体は解らない、ただし狐や狸が人をばか[#「ばか」に傍点]すと云う伝説や実験談等は無数にあって一々それが肯定されていた。
それからこん[#「こん」に傍点]と云うのはどう云う字を宛てはめたらいいか解らないが、これは川や堀の流れの底の知れない最も深い淵に住んで居て通る人を見かけては淵の中へ引っ張り込んでしまうのである。どこの若い衆が夜遊び帰りにこん[#「こん」に傍点]に引っ込まれたとか、どこの娘がこん[#「こん」に傍点]に引き込まれたとか云ううわさを絶えず耳にして居たものだ、そうしてこん[#「こん」に傍点]に引っ張られるものは大てい若い男女に限られて居た様だ、それ程こん[#「こん」に傍点]のうわさは絶えなかったにかかわらず、こん[#「こん」に傍点]と云う者の正体はだれの口からも具体化されて物語られたことはない、たとえば狐でも狸でもテンマルでもミコシ入道でも幽霊でもモモンガーでもカマイタチでもデーダラボッチでもそれぞれのグロが皆相当の形体を附与されて表現されるのに、このこん[#「こん」に傍点]ばかりは誰もどんな形をして居るか説明したものはなく、またこればっかりは探究心の強い子供もその正体を追究することなしに、ただこん[#「こん」に傍点]が引くこん[#「こん」に傍点]が引くと云う事だけで通されて居た、こん[#「こん」に傍点]と云うのは或は「魂」と云う字を宛てはめたら近いのかとも思われる。そうしてその淵々の底の見え通らない青みを帯びた俗に「青んぶく」というすごい所にのみ棲《す》んで居て、その引っ張り込む者が重に若い男女であるところを見るとこれは身投げとか心中とかいうものではなかったかと思われる。今時は川底も平均して、人間が飛び込んでも沈みきるような処は稀《まれ》であるからそう云うグロも全く棲家を失ってしまったらしいけれ共、そう云う不自然の中の自然な風景も伝説も同時に全く消滅してしまった。もし明朗という意味がそういう風に平板に人間の利便だけを標準として軽く浅くなるという意味ならば明朗は安っぽいものだ、そうして斯様《かよう》に明朗化され平板化された進歩というもののうちに住民の生活が内外共にどれ丈向上したかと思えば
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