だけは用心しなければなるまいから、単に海岸の舟つきの部分だけを念頭に置かず、半ば岩穴づくりにして、堅固に掘立てを構えることですね、風の当りさわりを本位にして」
「そうでしょう、強風暴風に堪えると共に、この通り暑いところですから、風通しをも考えなければなりませんな」
「それともう一つ、大家族主義で行くか、分散主義で行くか、それも重要な構図のうちです、つまり、海の生活を直ちに陸にうつしたような方式で行くか、或いは陸は陸のように、おのずから個性を尊重する建前で行くか、その建築方式を、あらかじめきめて置いてかからねばなりますまい」
「それもありますな。しかし、あれだけの人数が、いちいち一戸を持つなんぞということは、今日直ちにできることではありませんから、当分は大家族主義を取るほかないでしょう」
「しかし、物は最初がかんじんです、最初にその様式を整えて置かないと、後日改良をすると言っても、容易なものじゃないです」
「いったい人類生活は、大家族主義が本当ですか、個々分立主義が正しいですか。日本でも、飛騨《ひだ》の山中へ行きますと、一棟に四十家族も包容する大家族主義が現に行われていますが、我々の将来も、あれで行けるものか、或いはまた一人一家、少なくとも一夫一婦毎に一棟を分つという近代の行き方に則《のっと》らねばならないか、我々の植民第一に、その方針を決定してかかる必要はたしかにあります。あなたの趣味は、いったいどちらですか」
と田山白雲から尋ねられて、駒井が相当|確乎《かっこ》たる所信を以て、次のように答えました。
「私は一人一家主義です、ここに一人が独立の生計を与えられれば、必ず独立した一家を持たなければならぬという論者です、いわんや結婚生活者に於てをやです。かりに我々の仲間で、結婚以外に行き道がないものは、大家族主義を捨てて、独自の生活を営ましめるようにありたい、飛騨の大家族主義の如きは、自然生活にはかなっているかも知れませんが、私は個人の確立のためにそれを取りません、結婚者は当然独立した一家庭を持つべきは勿論、結婚した後に於ても、男女ともに別々に一家を成してさしつかえないと考えているのです、そうする方が合理的になるのじゃないかと考えているのです」
白雲には、駒井のこの論旨が、よく呑込めませんでした。結婚生活者にはぜひ一家庭を持たしめよということは聞えるが、結婚した後に於ても、おのおの別々に生活するがよろしいという論理は、そのままでは甚《はなは》だ不透明だと思いました。
二十三
しかし、この場合、そういうことに議論を逞《たくま》しうしているべきでない。白雲はそれを追究せず、そのうちに乗って来た小舟のあるところに到着すると、一行がこれに取乗って、本船さして漕ぎ戻る極めて無事な光景であります。
船へ帰ると駒井甚三郎が、船員全体を上甲板に集めて、次のような申渡しをしました。
「さて、我々はこの島へ上陸して、今後、この島の主となると共に、この島に骨を埋める覚悟で働かねばなりません。ここは我々だけの国であり、おたがいだけの社会でありますから、今までの世界の習慣に従う必要もなければ、反《そむ》くおそれもありません。もしこの島の生活を好まぬ時は、いつでも退いてよろしい。生活を共にしている間は、相互の約束をそむいてはなりません。ここには法律というものを設けますまい、命令というものを行いますまい、法律を定める人と、それを守る人との区別を置かないように、命令を発する人と、命令を受くる人との差別を認めますまい。仮りに私が先達《せんだつ》でありとしましても、それは諸君を治めるという意味の立場でなく、諸君に物を相談するという立場でありたい。この故に、我々だけの国とはいうものの、我々の国には王者がありません、治める人と、治めらるる人とがありません、従ってこの国には賞というものがなく、罰というものがないことになります。賞という以上は、それを賞する者がなければならず、賞するというのは、一段高いところに立って、そのことのぜひ善悪を鑑別して後にこれを推《お》す者になるのですから、批判の地位になります、批判が正しい時はそれでよろしいが、もし批判が間違っている時は、賞にその権威がなくて、軽蔑が起るのですから、人世と人とを推進せんがため、賞というものがかえって世道人心を紊《みだ》るの結果ともなるのであります。罰もその通りでありまして、社会が罰というものを設けるのは、これによって善をすすめ、悪を抑《おさ》えんためでありますが、それもやはり罰する人が正しければよろしいが、罰する人が誤っていた日には、罰を与えていよいよ人心を危うくするばかりです。よって、ここの国では賞も行わず、罰も行わずという建前にしたい。では、善いことはせんでもよい、悪いことは仕放題で罪がないかと申しますと、それは大いに有ります、おたがい同士仲よく生きて行くために害を為《な》すことは悪い、それを滑《なめら》かにするものは善い、とこう定めて置きましょう、そうすれば、おのずからこの島に於て為さねばならぬことと、為して悪いこととがわかるはずです。まず第一に、生きて行くには食物がなければなりません、空気と水は天地が与えてくれますから、これは人間の骨折りはいらない、その他の食物は、一切人間の手で、人間が作らなければなりませんから、人間の活《い》きて行く善事のまず第一のものは、食物を作ることです。これとても人間の力だけで出来るものではありません、米を蒔《ま》くにも、田畑というものがなければなりません、幸いに、私共がただいま実地検分して参りました結果によりますと、この島には、食物を生産すべき可能性が充分にあるのであります、人力を加えさえすれば、立派な耕地となる面積があるのであります、種子物の類は、豊富に船の中に貯えて持参してありますから、上陸早々、まず雨露を凌《しの》ぐところをこしらえて、それから耕地のこなしに取りかかりましょう、これが私たちの最初の善事でありますから、皆さん、応分の力をこれに添えて働いて下さい。みな働くと申しても、皆さんの力が平均しているわけではありませんから、誰も彼も鍬《くわ》を取り、鎌を振《ふる》って、荒仕事ができるものではありません、女子供はましてそうですが、力の足らぬもの、経験の乏しいものは、見よう見まねに、仕事の成績には関係せず、努めてやってみようという心がけが大切です。また、労力相当の軽い仕事から始めて、助けて行くのもよろしいです。そうすれば、これだけの人数で、五町や十町の開墾は苦もなくできます、それに種子をおろせば、まだ土が珍しいから、肥料なくして大抵の作物は出来るはずです。種子をまいて半年なり一年なりすれば、この人数を養うだけの収穫は必ずあります。故に、皆さんは、まず食物を作ることを第一の善事だと心得て下さい。それを妨げるもの、妨げないまでも、その助力を惜しむものが第一の悪事だと心得て下さい。それからです、我々は決しておたがいに過大の労力を課することを慎みましょう、出来ないものに無理に仕事をさせることのないように、出来る者にも、なるべく多くの余裕を与えて、人間というものは食って行くだけの世ではない、食って行くのは、つまり、皆々の持合わせた天分を、最上に発揮するためだということを心得て、おたがいの修養と、発表とを、怠らぬように致したい。そこで当分は、半日働いて、半日はおのおのの思うままのことをしてよろしい、本を読みたいものは本を読む、絵をかきたいものは絵を描く、歌をうたいたいものは歌をうたう、大工をしたい、細工をしたい、というおのおのの好み好みのことを、存分におやりなさい。半日は食物のために働き、半日は趣味のために生くるということ、これをこの島のおきてと致しましょう。それから、万々一、おたがいの中に我儘《わがまま》気儘《きまま》が昂じて、他の害悪をなす場合には、他の世界では、直ちにつかまえて牢へ入れたり、首を斬ったりするのですが、ここでは一切、そういう刑罰は用いますまい、刑罰の代りに遠慮を申し渡しましょう。我々の生活がわかってさえもらえば、好んで周囲を悪くするものはないはずですから、万々一、そういう人は、この社会を離れてさえもらえばよろしい。と言ってもここは大洋の中の孤島ですから、めいめい勝手に離れて行きたいところへ行くというわけにはいきませんから、この島のうちで別世界をこしらえて、そちらへ移ってもらう、そうして、そちらで自分の好きなような生活ぶりをやってみるがよい、当分の間、食うべきものは、こちらから分けて上げることにして、それ以後は勝手な生き方で生きてみるようにする。なおこの新しい生活を共にして行く間には、今までの世界で起らなかった問題も相当起るかも知れませんが、その時は、おたがいに相談の上で善処することと致し、とりあえず右のような意味で、食物を作ることに全力を注ぐということを、天地に誓いましょう、これには御異存はござるまいと思います」
駒井甚三郎が、諄々《じゅんじゅん》として、かく申し渡した時に、誰も異議異存のあろうはずはありません。一同無条件に同意して、略式を以て天地に誓うの形式を取りました。
ここに駒井甚三郎が、その理想の王国を作るの第一歩に踏み入ったわけですが、これは胆吹の山で、暴女王が行わんとしたところのものと、期せずして異曲同工なのであります。
暴女王は専制の王国を打立て、力を以て、思い通りの小社会を作ろうとして失敗しました。
駒井甚三郎は、力を以てせずして、自由を以て、人間生活を最善に伸ばそうとするところに相違がある。
彼女の気象が烈しかったと反対に、これの行動は極めておだやかでありますけれども、その徹底を求めてやまざる意志の強烈にはあえて甲乙なしというべきでしょう。
果して、治者なく、被治者なき社会の存立があり得るや。命令と、法律と、その後に強力がなくして多数を統御し得るや。これは、これだけの少数同志ならばとにかく、この形式を、何千何万倍の人数に及ぼし得る可能が有り得るや否や。駒井甚三郎は身を以て、これが実験にとりかかり得たものと見なければなりますまい。
総員はみな無条件に聴従したけれども、この中の誰が、駒井の本心に共鳴し得るや。田山白雲すらが、その深い洞察はできない。聴従はするが、共鳴はないのです。そこに駒井としては、無上の希望があると共に、無限の淋《さび》しさがあるというものです。
二十四
かくて、田山白雲の設計図により、附近の木石を利用し、船中からも相当の資材を持ち出し、かなりの新館が、忽《たちま》ちに出来上りました。
船は島蔭の程よき所に廻航して、そこに据附けの形となり、多くは小舟によって往来しつつ、そこを宿所として工事に働きに出ましたが、ほどよく新館が出来てみると、船に留って守るものと、新館に移動する者と、交代に手分けをしなければなりません。
それから、附近を詮索《せんさく》して水道の工事があり、やがて開墾にとりかかって、草木を焼き、或いは伐《き》り、開くあとから種を蒔《ま》きはじめました。幸い、農事にかけては七兵衛入道が万事本職で、熟練した指導ぶりを見せていますから、仕事の捗《はかど》ること目ざましきばかりです。
そのうちにも、休息と、慰安の時間は多分に与えられて、仕事の余暇は、おのおのその楽しむところを発揮するの自由を与えられましたから、ほんとうにすべてがトントン拍子で、幸先は決して悪いものではありません。
駒井甚三郎は新館の一室を書斎とし、一室を寝室とし、食事は多勢と共に食堂兼用の広間ですることもあれば、書斎に取寄せて済ますこともある。駒井の次の一間は、秘書役のお松の部屋です。
お松は、駒井の秘書と、内政と、その事務の助手のすべてを兼ねて、なくてならぬ人です。
駒井が研究に没頭して事務に遠ざかる時は、お松でなければ駒井に代って取りしきる人がありません。田山白雲は豪放|磊落《らいらく》を以て鳴り、このごろは、その附近の異風景の写生に専《もっぱ》らで、義務として開墾に応分
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