ぶ限り監視の役をつとめている。
 船の甲板では七兵衛入道が、やがて総員上陸すべき人員の点検と、陸揚げすべき資材の整理に大童《おおわらわ》となっている。
 七兵衛のその後のいでたちを見ると、いったん入道した形を決して変えない。あれ以来、絶えず船中で、頭へ剃刀《かみそり》を絶やさないと見えて、入道ぶりがもはや堂に入っているところへ、潮風で磨きがかかって、地頭そのものがいっそう自然の形に見えるようになりつつあります。
 その着物も、またそれに応じて、日本木綿を縫い直して筒袖にし、それに駒井形のだんぶくろをつけて、船員としても板についた形になっている。
 かくて、全員総上陸の点検の上、物資は物資でこれを大別して、船に残すべきものと、陸上に持って上せるべきものとし、とりあえず衣食住を保証すべき物資と、その用具の取揃えにかかりながら、七兵衛が言いました、
「まず第一が水ですね、水の手がなければ人が住めない、井戸を掘るとか、水口を取るとか、鶴嘴《つるはし》と、鍬《くわ》と、鎌と、鉈《なた》、鋸《のこぎり》――そういったような得物を、ここへお出しなせえ。それを束《たば》にして、がっちりとここへ並べて置きなせえ。それから、煮炊《にたき》をする鍋釜、米と塩、鰹節と切干――食料は、よく中身を調べて、この次へこうしてお置きなせえ。とりあえず野陣を張る天幕はいいかね、張縄から槌《つち》、落ちはないかね。それからお医者さんの道具と薬箱、これは潮水に当てねえように、雨にかからねえように、桐油《とうゆ》をかけて、細引にからげて、取扱注意としておくんなさいよ。めいめい足を忘れねえように、蛮地の山坂を歩くには足が大事だよ、足が――沓《くつ》に慣れた者は沓、草鞋《わらじ》草履《ぞうり》の用意、二足でも、三足でも、よけい腰にブラ下げるようにして、水筒には、それぞれ湯ざましを入れて、これも腰から放さねえことだ。陸《おか》へ上ったら、直ぐに飲める水が有るか、ねえか、そこのところの用心だ、時候がわりの土地へ来て、うっかり悪い水を飲んじゃあ、取返しがつかねえぜ」
 さてまた、婦人と小児の周旋は、お松が承って、これを担当する――
 婦人といっても、監督のお松と、それから乳母《ばあや》、七兵衛入道が押しつけられて来た南部の生娘《きむすめ》のお喜代――番外としては、ほとんど監禁同様に船室に留められている兵部の娘、それだけのもので、小児としては登少年たった一人――清澄の茂太郎は、小児扱いをすることはできない。
 男子はすべて、総上陸の用意をしているが、婦人と小児は、必ずしもそうは急がない。というのは、果して、あの島に安全生活の保証が立つか立たないかは、船長と総監(白雲のこと)が帰って来てでなければわからない。よし、人間の生活に堪えることが充分に保証ができたとしても、婦人小児連は当分の間、野営同様の空気に曝《さら》されるよりは、この船の中を当分の住居としていて、陸上に相当の住宅準備が出来て後、本上陸ということにしても遅くはない。よって、これら婦人部隊は、比較的に動揺が穏かです。
 幸いにして、婦人部隊に至るまで、いずれも健康に恵まれている。恵まれているというよりも、船長の周到なる用意と知識とが、船上衛生に抜かりなからしめている。その上に、食糧から医薬に至るまでの準備が潤沢であった――等々の条件が、船員のすべての健康を保証していたので、健康以上に張りきった精力に溢《あふ》れて見えるのさえある。
 してみると、ここまで、世間の漂流記にあるような極度の欠乏や困苦から、この船員はすべて免らされて来ている。天候と言い、健康と言い、珍しいほど好条件に恵まれているもので、ある意味では、世界周遊の遊覧船に乗せられて、たまたまこの地に船がかりをしたような気分をさえ与えられるのでありますが、前途のすべてが、こんな洋々たる気分ばかりではあるまい、ということは誰にも予想されるのです。
 ことに船長の身になってみると、現在の好条件がかえって、未来の多難を暗示するような考慮もないではない。それをまた本当に思いやっているのが、船長についではお松です。白雲は豪放で、それらの点には、さのみ頓着はしていないようです。
 お松は、一通り甲板から各船室を見舞った上に、ひとり船長室へ来て留守をつとめていながら、眼の前に浮ぶ島と、それに向って漕ぎ行く駒井と白雲一行の小舟を、窓の内から見送って、希望と心配とに張りきっておりました。

         二十一

 ここにもう一つ、隠れたる功績をうたわなければならないことがあります。
 それは、メイン・マストの上にいる清澄の茂太郎であります。
 この少年は出鱈目《でたらめ》をうたい、足拍子を取り、また興に乗じて踊り出すことに於て、船中の愛嬌者とはなっていますが、愛嬌者以上の実用の功力《くりき》を認められたこと、今度の航海の如きはありません。それは何人よりもまず、駒井船長に認められました。
 というのは、時に感じては、逸早くメイン・マストへ攀《よ》じ上って、出鱈目の口上を口走るが、その出鱈目のうちに、驚くべき天気予報を感知したのが駒井船長でありまして、今日は無事であること、明日は降るであろうこと、曇るであろうこと、または即今、南の方から低気圧が捲き起ること、北の方の潮の色が変っていること、そういうことが出鱈目の口うらのうちに含まれているのみならず、彼の音声の変化だけでも、気象に合わせて科学的に考慮してみると、経緯度ごとに音節の変調を来たしているやに見える。それを最も早く見て取り、聞き取った駒井船長は、船室のうちから、その研究を統計に取りかかりました。その結果が、その少年の声によって、気象の変化をある程度まで識別し得られる――船の針路が、ある程度まで暗示せられ得る、ということを発見して、有力なる航海指針のうちに加えました。それで、この航海が、漂流に似て漂流にあらず、初心の航海者が当然受くべき苦難から、きわどい潮さきによく逃《のが》るることを得て今日に至ったということと、今日に至ってこの島へ安着したその予感も、この少年の感覚に負うところが多いのであります。
 もちろん、人間のことだから、機械のように固定した正確を得ることはできない点もありますけれども、観察の如何《いかん》によっては、生きた気象台であり、生きた羅針台であり、生きた航路案内者となり得ることを、駒井船長が見て取ったものですから、これを観察し、これを利用することを怠りませんでしたけれども、それが評判に上ることによって、船中の要らぬ好奇心を加え、当人の鋭敏な感覚に無用な刺戟を与えてはいけないから、誰にもそのことを知らせずに、当人にのみほしいままに歌わせ、ほしいままに躍《おど》らせて、その純真性をつとめて保護して置かなければならないと思い、誰にも言わないうちに、ただ一人、お松にだけには、相当の暗示を与えて置きました。
 それですから、船長が島に渡った後のお松は、船長室を守ると共に、マストの上なる茂太郎の言動挙動に、それとなく注意を払っておりますけれども、今日の茂太郎は、歌うべくして歌わないのが不思議です。陸に着いたら真先、サンサルヴァドルの歌を歌うべきはずになっていたのが歌いません。
 茂太郎がこの島を歌わないということが、お松にとっては、この島が人の住むべき島でない、人が住むことに、何ぞ障壁のあるべき島だということの暗示にならないでもありません。
 それよりもなおいけないのは、万々一、そんなことは予想するさえいやで、また予想するほどの必要が微塵《みじん》もないことですけれども、島の検分に赴《おもむ》いた船長さんと田山さんの一行の上に、何かの異変が――というようにまでもお松は念を廻《めぐら》してみるのであります。
 そこで、身は船室に於て、船長なき後の船の一切の機密をあずかると共に、耳は高くメイン・マストの上に働いて、今にも起るべき、予報と、合図を待つことに集中されているのであります。
 幸いにしてやや暫く、歌うべきものの歌う声が起りました。お松は福音《ふくいん》を聞き貪《むさぼ》る如く、その声に執着すると、その歌は――
[#ここから2字下げ]
ダコタの林の中に
小屋を作り
パンを作り
泉を飲み
大地と岩と
五月の花をながめ
星と
雨と
雲とに驚けば
ものまね烏が啼《な》く
山鷹が飛ぶ
わたしは
新世界のために歌う
脚には聖なる土
頭の上には太陽
地球は廻転する
偉大なる哉《かな》、先人
ここに女性と男性の国
魂はとこしえに
海よりも遥《はる》かに偉大に
満ちては退く
退きては満つる
わが魂もて
不滅の詩を歌え
国々に起る
海と陸との
英雄
私は悪を歌おう
悪というものはないもの
現在に不完全なものはない
未来に不可能なものはない
ごらんなさい
大地は決して疲れないから
[#ここで字下げ終わり]
 例によって出鱈目の歌だが、その出鱈目にも相当に根拠はあるのです。
 どう根拠があるということは、当人には無論わからないが、駒井船長や、田山白雲の会話を聞き、また船長から口うつしのお松の筆記の席に侍し、そんなこんなで、うろ覚えが興に乗じて、前後左右、交錯したり、焼直されたりして、飛び出して来るのですが、今の歌もまさしくその反芻《はんすう》に相違ない。お松もその歌詞をそっくり受取ったわけではないが、その音節を聞いていると平和であり、その歌調の表現は、悲観でも失望でもない、むしろ、積極的に、大地と自然とを謳歌《おうか》する歌になっているものですから、お松は、この島が豊かな土地であり、船長はじめ検分の一行も極めて無事満足に探検を進めて、希望に満ちているということを、この歌が暗示すると認めたものですから、ほっと安心しました。

         二十二

 上陸して島内の最寄りを一応視察した駒井甚三郎は、同行の田山白雲に向ってこう言いました、
「水も掘れば出て来る見込みは充分だし、土地も開けば耕作の可能性がたしかです。ただ川がないから、水田は覚束《おぼつか》ないと思うが、陸稲及び麦、しからずば蕎麦《そば》などは出来ましょう。そのほかに、この地特有の食糧を供する植物があると思います。ともかくもここへ我々の根を卸してみましょう、相当生活してみて見込みがなければないで、また手段方法を講ずる余地が有りそうなものです。それにこの島は、周囲せいぜい二三里のものでしょうが、必ずや遠からぬ附近に、これに類似した大小幾つかの島が存在すべき見込みがあります。ひとまずここを足がかりとして、近き海洋を視察している間には、我々に与えられた最も適当な楽土を発見するかも知れない、約束せられたる土地というようなものがないとは限らない――左様、東経は百七十度、北緯は三十何度の間、ハワイ群島はミッドウェイ諸島に近いところ、或いはその中の一部に属しているかも知れません。これらの島々は、まだ名あって主のなき島と謂《い》うべきだから、我々に先取権が帰着すべき希望も充分あります。では、船へ帰って、この旨、一同に申し告げて、総上陸ということを決行しようではありませんか」
 白雲がこれを聞いて頷《うなず》き、
「結構ですね、そうして、いよいよ総上陸ということになりますと、まず第一に住居地の選定をして、上陸早々、住宅の建設に取りかからねばなりません、図面を一つ引いて行きましょうかね」
「そうして下さい、とりあえず海に近いところ、あの辺か、或いはこの辺がいいでしょう、材料は、近辺の、成長するあらゆる植物を、利用のできるだけ利用することですね」
「設計図は任せて下さい、拙者が、原始的で、そうして気候風土に叶《かな》う様式を創案してみますから」
「そう願いましょう。それから特に注意しなければならんことは、気候はこの通り温かいのですから、霜雪の難はありません、大河湖沼が乏しいから、洪水の憂いというものからも救われましょう、唯一の心配は風ですね、海洋の中の一孤島ですから、風当りは相当強いものと見なければなりません。しかし、波は岸を洗うとも、島をうずめるようなことはありません、海嘯《つなみ》
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