手持無沙汰《てもちぶさた》でいる人っ子はないから、多分、このおいらという奴を目にかけて呼びかけたんだろうが、それにしちゃあ、人を見損ってるぜ。
「兄い、どうだ、行く気ぁねえか、いい銭になるぜ、洛北の岩倉村に前代未聞《ぜんでえみもん》の大賭場があるんだから行かねえか」
 同じようなことを繰返して、今度は、ひたと自分の眼の前へ足を踏みつけて突立ち止っての直接談判《じかだんぱん》だから、もう思案の問題ではありません。
「おあいにくさまだよ」
と米友が言いました。
「おあいにくさま、いやはや」
と、けったいな男は苦笑いをしたが、それで思い止まるとは見えない、ニヤリニヤリと笑いながら、米友の前におっかぶさるような姿勢になって、
「そんなお愛嬌《あいきょう》のねえことを言わねえもんだ、やびなよ、やびなよ」
「やばねえよ」
「やびなよ」
「やばねえてばなあ、しつこい野郎だなあ」
 ここで、やべ[#「やべ」に傍点]とやばぬ[#「やばぬ」に傍点]の押問答になりましたが、やべ[#「やべ」に傍点]というのは「歩め」或いは「歩べ」という急調な訛《なまり》でありまして、ところにより、俗によって使用されるが、必ず
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