、お茶を知らない、寂《さび》を知らない、わびというものを知らないお角さんは、ただ眼の前にあるからそれを見ているだけで所在が無いから、ことにお場所柄であるから、枉《ま》げて、つつましやかにしているだけのものなのです。
 その時、廊下の彼方《かなた》で、高らかに経を読む声が聞えました。多分お経だろうと思われる。お寺へ来て朗々と読まれる文言を聞けば、お経とさとってよろしい。お経は何のお経だかわからないが、その読み上げている主は門前の小僧であることが、お角さんによくわかります。門前の小僧ではない、本当は門内の小僧なのですが、さいぜんから門前の小僧にしてしまっているあの薄気味の悪いほどよく似た、びっこの小僧の読み立てる声に紛れもないと思いました。
 全く、お角さんの思うことに間違いなく、たしかに右の門前の小僧が、廊下の一端に膝小僧を据《す》えて、朗々と音を挙げていることは確実なのですが、それは、正式に机を置き、経文を並べて読んでいるのではない、膝小僧と談合式に、上の空で暗誦を試みているものであります。何を読み上げているのか。注意して聞けば、次のような文章を読み上げているのです。
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