んぶんじょくれい》であったのだ、そこへ早雲が来て、この繁文縟礼の弊風を一掃してしまい、また苛税を免じて民力の休養をはかった、つまりこれで、うまく治めたのだ。徳川時代には、小田原附近から関八州へかけてが、全国中でいちばん地租の安いところであったが、これは全くの早雲の余沢《よたく》だ」
「それで、北条の亡んだ後に、徳川氏が駿遠参の故土から、この関八州へ移封されたのだが、もともと租税の安いところであったから、徳川氏の方では非常に迷惑だったのだ。太閤という男は、なかなかの狡猾者《こうかつもの》で、よくこの事情を承知しておりながら、いわゆる、その名を与えてその実を奪うの政策に出でたのだ。しかし、そこはさすがに徳川氏だ、少しも早雲の遺法を崩《くず》さず、従来の仕来《しきた》りに従って、これを治めたのだ」
「天下の富を以てして、天下の経済に困るという理窟はないはずだ、いにしえの英雄はみな経済のために苦心したよ。織田信長は経済上の着眼が周密であったから、六雄八将に頭《かしら》となり得たのさ。南朝の政治も、北朝の細川頼之の経済のために倒れたのだ」
「おれがはじめてアメリカへ行って帰った時に、御老中から、
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