呼ぶに『百姓』の語を以てし給ふ。愚、ひそかに数へ上げ奉るに、日本書紀三十巻の中に於て、天子おんみづから『百姓』の語を以て呼びかけ給へるところ七十四ヶ所に及ぶ。殊に、第十六代仁徳天皇に於かれては、
『君ハ百姓ヲ以テ本トナス』
『百姓貧シキハ則《すなは》チ朕《ちん》ノ貧シキナリ、百姓ノ富メルハ則チ朕ノ富メルナリ』
とまで仰せらる。
まことに、日本は天皇の国にして百姓の国|也《なり》。天皇は親にして百姓は子也。関白、将軍、国主、郡司、諸々《もろもろ》の門閥は皆後世この百姓の間より出でて、或は国家に功あり、或は国家に害を為《な》す。功あるは即ち天皇と百姓の間を助くるなり。害あるは則ち天皇と百姓の間を紊《みだ》すなり。
中世以後に漸く『百姓』の名を農耕者に限るやうになり行くと共に、これに下賤軽蔑の色を附与したるは、まさしく中間勢力の横暴の致すところなれば、日本の政治の革新は、天皇と百姓の間を、古《いにしへ》の美風に帰すことなり。
かく、百姓は即ち万民の意味にして、農耕業者に限りたる約束は更になしといへども、百姓の基本業が則ち農耕に存すること、万世|渝《かは》ることあるべからざる也。
それ、如何《
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