何か相当の拠《よ》りどころはあるらしいが、口に上せてはっきりと補うことができない、そこに信仰者の悶《もだ》えがありました。ハネ飛ばされてもしょげもしないし、反撥もしないところに、信仰に於ける相当の自信があることはあると受取れるのですが、さて、立ちどころにその反撥に応酬して、相手を取って押えるだけの論鋒が見出せない、その悶えをかえって懐疑者が補ってやるという逆三位。
「いいんですよ、親方のは親方のでいいんですよ、お前さんは信心者なんだから、それでいいのよ、鰯《いわし》の頭も信心から、って言うでしょう、それは軽蔑して言うんじゃありませんよ、鰯の頭をでさえ信じきれる人が結局エライんです、鰯の頭をでさえ信じ得られる人が、人間を信じなくてどうするものですか、人間を信じ得られる人は、神をも、仏をも、信じ得られる人なんです、それは幸福です、偉大でさえあるんです、ところが、わたしときた日には何ものをも信じ得られません、悲惨ですね」
ここに至って、女軽業の親方はグウの音が出ませんでした。相手から逆十字がらみに抑え込まれたのですから、抗弁の仕様もなく、さりとて納得しきるには頭が足りない。こうして女軽業
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