なかった。あの献上物なら、こっちが欲しいくらいなもんだが、さて、また何の由で、岩倉三位ともいわれる御仁《ごじん》が、あんな献上物を持込まれなければならないのか、また何の由であの奴らが、こんな献上物を持込んだのか、何が何やら、煙《けむ》に捲かれ通しで、居ていいか、立っていいかさえわからない。今日は幸先《さいさき》がいいと思って出て来てみると、現場へ来てはカスの食い通し。こんな日にゃ、出る目も出ねえ、ちぇッ面白くもねえと、がんりき[#「がんりき」に傍点]が唾を噛《か》んでやたらに吐き出しました。
 そうすると、後ろ手の方で、またしても喧々囂々《けんけんごうごう》、人の罵《ののし》る声、騒ぐ物音、さあまた事が起ったぞ、喧嘩だな、喧嘩となれば、てっきり今の物々しい奴等、してまた、その相手は、待てよ、ことによると、おいらの御同行のあの気の早い、あんちゃん[#「あんちゃん」に傍点]じゃあねえかな。こいつ事だぞ、あのあんちゃんときた日にゃ、相手かまわずだからなあ、事だぞ!
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は宙を飛んで駈けつけて見ると、果して、宇治山田の米友が、石の上に腰をかけて、大地を指さしながらたんかを切っている。それを取りまいて、いきり立っているのはたった今、岩倉三位へ献上物の一行に相違ありません。
 いったい、何がどうしたと言うんだ。何が行きがかりで、こうなったんだい。つまらねえいさかいをしなさんなよ。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、加勢のつもりではない、取和《とりなだ》めのつもりで、例の馬力で一足飛びにその現場へ戻って見ました。

         十七

 大地を指さした宇治山田の米友が、生腕《なまうで》献上の一行を相手に、何をたんかをきっているかと聞いてみると、
「そんなら証拠を出しな、証拠を出してから物を言いな、なるほどと思う証拠がありさえすりゃあ、この場でおいそれと渡してやるよ、証拠がなけりゃあ、誰が何と言ったって渡さねえよ、たしかにこの袋が、お前《めえ》たちのもんだという証拠を見せてくんな、お釈迦様に見せても承知のできる証拠を出してみねえな、そうすりゃ、この場で文句を言わずに渡してやるよ、証拠がなけりゃ、誰が何と言ったって渡すこっちゃあねえ!」
と啖呵《たんか》をきっている米友。これと正面相対して、青筋を立てているのは、さいぜん、生腕献上の先手を承って、三宝を目八分にささげた若い髯《ひげ》むじゃの浪士風の男であります。
「黙れ、証拠呼ばわりすべき性質のものじゃないぞ、その袋は、我々の仲間が昨日醍醐の三宝院の門前へ預けて置いて来た品じゃ、袋と言い、中味といい、これに相違ないから申すのじゃ、その方は、黙ってこちらへ引渡して行けば、それでよいのだ、仔細ないから置いて参れ、つべこべと物を申すに於ては、眼を見せて遣《つか》わすぞ」
と、右の浪士風の男が、つとめて抑損して、馬鹿をさとすつもりで言ったようですが、相手が宇治山田の米友ですから通じません。
「お前の方は仔細なかろうが、おいらの方はそれじゃ済まねえよ、当然渡すべき人に渡さなけりゃあ、義理が済まねえんだ」
「その当然渡すべき人々が我々なんだ、我々の所有物を、我々が受取ろうというのだから、これより以上の当然はなかろう」
「だから言わねえこっちゃあねえ、お前さんたちが、当然受取るべき本人なら、本人のような証拠を見せてくれと言ってるおいらの理窟がわからねえのかい」
「証拠というて、貴様に受取を出すべき筋はない、どだい、貴様は誰に渡すつもりで、その金袋を持って来たのだ、貴様は、さいぜんから、渡すべき人に渡すと言っているが、その渡すべき人というのは、いったい誰だ」
「うむ、そりゃあな……」
と言って、さしもの米友が、ここで少し口籠《くちごも》ったのは、当然の所有者に渡してやるべきつもりで、ここまで持って来たには相違ないが、その、当然の当然とすべき本人が何者であるかは、御当人にもわかっていないのです。これから、その御当人を探し当てて、返すところへ返してやるというつもりで、目下捜索中なのですから、こればっかりは、さすが米友の正義を以てしても即答がなり兼ねて、不覚にも言葉尻が濁るのを、相手は、ソレ見たことかと鋭く突込んで、
「それ見ろ、それは言えまい、本来、貴様らの持つべき筋合でないから言えないのだ、悪い了簡《りょうけん》を出すもんじゃない、さもしい心を起すもんじゃあないぞ、物が欲しければ、相当の筋道を踏んで持つべきものだ、さあ、素直に我々の手に返せ、戻せ、わかったか」
「わからねえ!」
 米友が決然として言いきったのは、この場合、正道がかえって、わからずやのように受取られるのみならず、拾得物を横領の悪漢のようにも受取れるものですから、堪忍袋《かんにんぶくろ》の緒を切りました。どっち
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