が堪忍袋の緒を切ったのだか、わからないところがお愛嬌だと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百はせせら笑ったが、笑いごとではない。この時、浪士の右の足が撥《は》ねたかと思うと、米友の胸板《むないた》めがけて、肋《あばら》も砕けよと蹴りが一つ入ったものです。普通ならば、これだけで事は解決してしまうのですが、
「何をしやがる!」
と米友は、蹴りを入れたその足を、両手でがっきと受留めて、こぐら返しに逆にひっくり返したものですから、蹴りはきまらず、浪士の身体が横ざまにひっくり返って、あっぷ、あっぷと言いました。
 その事の体《てい》が、今まで、さげすみ半分に、処分をこの一人に任せて、傍観の体勢でいた献上の一行を、残らず沸騰させてしまい、
「こいつ」
「この野郎」
「この馬鹿野郎」
「この身知らず」
「こいつ、気ちがいだ」
「泥棒だ」
「胡麻《ごま》の蠅だ」
 寄ってたかって袋叩きの乱戦になると、こうなると、宇治山田の米友が本場です。
 こういう喧嘩にかけては、相手の拳《こぶし》を受けて立つような男ではない。相手の一つの拳が来る前に、ぱた、ぱた、ぱたと三つ四つは、こっちから打ちが入っていて、あっ! と言わせる間に素早く飛びのいて、例の金袋を引っかつぐや否や後ろへさがったのは、逃げるつもりではない、足場をつくるつもりらしい。

         十八

 そこで、梨の木を一本、後ろ楯《だて》に取って、袋をかこい、蟠《わだかま》った米友は、例の手練の杖槍を取って、淡路流に魚鱗の構えを見せるかと思うと、そうでなく、後ろにかこった金の袋の結び目へ手をかけて、
「面倒くせえから、それ、欲しけりゃあくれてやらあ、手を出すなら出してみな、面《つら》でも腕でも持って来な、目口から押出すほど食わしてやらあ!」
 袋の結び目を手早く解いて、その両手を袋の中に突込むと、すくえるだけのザク銭《ぜに》をすくい上げ、
「そうれ!」
と言ってバラ蒔《ま》きました。バラ蒔いたその当面は、呆気《あっけ》に取られた献上隊の目と鼻の間です。
「あっ!」
と、これにはまた事実上の面喰いで、予期しなかった目つぶし。相手にこれほどの飛道具が有ろうとは思わなかった。
 さて、それから、花咲爺が灰を取り出して蒔くように、掴《つか》んでは投げ、掴んでは投げる。
 何といっても、盲滅法《めくらめっぽう》に投げるのではない、十分の手練に、二分の怒気を含めて投げるのですから、敵いかに多勢なりとも、面《おもて》を向けることができません。面を向ければ、多武《とう》の峰の十三重の塔と同じく、向いたところが満面銭で刻印されてしまう。
 額へ当れば額、頬っぺたへ当れば頬っぺた、縦に来た時は箆深《のぶか》に肉に食い入ろうというのだから、この矢面には向うべくもない。加うるに、この弾丸はなかなかに豊富で、むやみに掴投げにしてさえこの一袋は相当の使いでがあるのに、これを適度に使用されてはたまらない。左に持った一掴みの中から、右手で一枚を抜き取って、その片面にしめりをくれる。
「総花にフリ撒《ま》いてやるというのに、そう遠慮するなら今度ぁ、狙撃《ねらいうち》だぞ、それその前につん出た三ぴん野郎! こっちへ向け、そうら、手前のお凸《でこ》の真中へ、一つお見舞」
と言って、はっと気合をかけると、予告の通り三ぴん氏の額の真中へ、寛永通宝子がぴったりと吸い着く。
「そうら見ろ、お次ぎはこっちの三下野郎、イヤにふくれた手前の赤っ面の頬っぺたに一つ――こんにちは」
と言う言葉の終らぬ先に、なるほど、三下氏の頬っぺたに吸いついた文久通宝子、まるまっちい蝙蝠安《こうもりやす》が出来上る。
「その昔の、おいらの先祖の鎮西八郎為朝公《ちんぜいはちろうためともこう》じゃあねえが、お望みのところを打って上げるから申し出な、頭痛、目まい、立ちくらみ、齲歯《むしば》の病、膏薬《こうやく》を貼ってもらいてえお立合は、遠慮なく申し出な、そっちの方の大たぶさの兄いが、イヤに物欲しそうな面《つら》あしておいでなさる、ドレ一丁献じやしょうか、そうら!」
 空《くう》を切って飛んだのは、今度は名代の当百《とうひゃく》。以前のよりは少々重味があって、それが物欲しそうな大たぶさの耳の下をかすめて、鬢《びん》つけの中へ、ダムダム弾のようにくぐり込んだのだからたまらない。
「あっ!」
と、自分で自分の髪の毛をかきむしってとび上りました。
「そうら、こちらの方でも御用とおっしゃる」
 今度は一っ掴み、数でこなしてバラ蒔いて、
「あちらの方でも御用とおっしゃる」
 指の股へ四枚はさんで、四枚を同時に振り出すと、それが眼あるもののように飛び出して、相手四人の顔面へ好みによって喰いつこうというのだから、眼も当てられない。
「こちらの方でも御用とおっしゃる」
 恵方《
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