ことは、免れ難き人間の義務である。
 かくて、五升袋の銭塊を前にして、米友が、とつおいつと思案に暮れました。

         五

 宇治山田の米友が、門前に於て、かくばかり当惑している時に、お銀様とお角さんとは、三宝院のお庭拝見をしておりました。
 二人の東道役《とうどうやく》をつとめるのが、院に子飼いと覚しい一人の小坊主でありましたが、最初からこの坊主に気を引かれたのは、女軽業の親方だけではありません、お銀様でさえが、玄関に現われたその瞬間から、ハッとした思いです。
 というのは、この小坊主が、別人ならぬ宇治山田の米友に生きうつしなのです。違うところは、米友よりも年まわりが一まわりも違うかと思われるほどの幼年ですから、背丈も、本来高くもあらぬあの男をまた一けた低くしたようなもので、これが友しゅう[#「友しゅう」に傍点]の弟でなかったら、世に米友の弟はないと思われるばかりです。
 そこで、お銀様とお角さんが、思わず眼と眼を見合わせてうなずいたのは、二人ともに、ぴったりと観るところが一致したので――これは一致しないわけにはゆきません、一致もこの程度になると、※[#「口+卒」、第3水準1−15−7]啄同時《そったくどうじ》のようなもので、言句を言わないで眼だけでよくわかる。
「よく肖《に》ていますねえ」
「よく肖ているわねえ」
 言語に発して、しかして後、呼吸を合わせる程度のものではなかったのです。昭和現代の支那事変のつい近ごろ、日本で、ある映画会社がフィルムに製造すべく、かの憎むべき蒋介石《しょうかいせき》のモデルを、一般に向って募集したことがありましたそうです。そうすると、四国かドコかの山中から現われた一人の応募者があったそうです。テストに現われた係員が、まず呆気《あっけ》に取られたのは、この応募者が、蒋介石に肖ていること、肖ていること、そっくりそのまま以上、本人よりもよく肖ていたそうです。斯様《かよう》にして求めさえすれば、日本の中にさえ蒋介石よりも蒋介石によく似たという人間も現われるものなのでありますが、ここでは求めざるに不意に現われたものですから、さすがの暴女王様も、お角親方も、舌頭を坐断されてしまって、うなずき合うよりほかに言語の隙を与えないほどでありました。
 もし、ところがこうしたところでなかったら、お角親方は、啖呵《たんか》を切って叫んだかも知れません――「これは友の舎弟なんですよ、間違いっこはありません、本人よりもよく友に似てるんです、もともとあいつも上方の生れと聞いていました、家もあんまりよくないもんだから、藁《わら》のうちから別れ別れにされて、一匹は関東へ、一匹はこっちへお弟子に貰われたんですよ、友を呼んで見せてやりましょうよ、生別れの兄弟の名乗りをさせてやろうじゃありませんか、ほんとうに当人よりもよく似ていますよ、これがあの男の弟でなかったら、世間に弟というものはありゃしません」
 こう言って、親方まる出しのけたたましい叫び声を立てて、権柄で友を呼び込んで、否も応も言わさず、兄弟名乗りをさせたかも知れません。しかし、ここはところがらですから遠慮をしました。ところがらをわきまえて遠慮のたしなみがあるところが、さすが女親方の取柄で、本来自分が字学が出来ないし、身分に引け目があるところから、場所柄によっては必要以上におびえ込み、謙遜以上に謙遜してしまうことが、この女性の美徳といえば美徳の一つでありますことがまた、ここでけたたましい叫びを立てなかった一つの理由なのであります。
 そこで、二人がうなずき合っただけで、この奇遇的小坊主の案内を受けて、玄関から名刹《めいさつ》の内部の間毎の案内を受けようとする途端、これはまた運命の悪戯《いたずら》! とまでお角さんをおびえさせて、一時《いっとき》、その爪先をたじろがせたほどの奇蹟を見ないわけにはゆきません。
 本人よりもよく米友に肖《に》ているこの小坊主が、先に立って案内に歩き出したところを見ると、どうでしょう、これが跛足《びっこ》なのです。
「まあ、お嬢様!」
と今度は音に立てて、さしもの親方が、オゾケを振って一時立ちすくんだのは無理もありません。暴女王でさえが覆面の間から鋭い眼をして、この小坊主の足許《あしもと》を見定めたほどであります。
 世に遺伝ということはあって、子が親に似ているのは当然中の当然。その子の弟が、兄に似ていることも当然中の当然。親が頭がいいから、子も頭がいいというのも不合理ではない。子の体格のいいのは、親の譲りものというのも無理はないし、悪いのになると、悪疾の遺伝、悪癖の遺伝までも肯定されるが、跛足が遺伝するということは、あまり聞かないことです。
 親が跛足であったから子が跛足、兄貴が跛足だから、弟の跛足に不足はないということは言えないので
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