がこの島を歌わないということが、お松にとっては、この島が人の住むべき島でない、人が住むことに、何ぞ障壁のあるべき島だということの暗示にならないでもありません。
それよりもなおいけないのは、万々一、そんなことは予想するさえいやで、また予想するほどの必要が微塵《みじん》もないことですけれども、島の検分に赴《おもむ》いた船長さんと田山さんの一行の上に、何かの異変が――というようにまでもお松は念を廻《めぐら》してみるのであります。
そこで、身は船室に於て、船長なき後の船の一切の機密をあずかると共に、耳は高くメイン・マストの上に働いて、今にも起るべき、予報と、合図を待つことに集中されているのであります。
幸いにしてやや暫く、歌うべきものの歌う声が起りました。お松は福音《ふくいん》を聞き貪《むさぼ》る如く、その声に執着すると、その歌は――
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ダコタの林の中に
小屋を作り
パンを作り
泉を飲み
大地と岩と
五月の花をながめ
星と
雨と
雲とに驚けば
ものまね烏が啼《な》く
山鷹が飛ぶ
わたしは
新世界のために歌う
脚には聖なる土
頭の上には太陽
地球は廻転する
偉大なる哉《かな》、先人
ここに女性と男性の国
魂はとこしえに
海よりも遥《はる》かに偉大に
満ちては退く
退きては満つる
わが魂もて
不滅の詩を歌え
国々に起る
海と陸との
英雄
私は悪を歌おう
悪というものはないもの
現在に不完全なものはない
未来に不可能なものはない
ごらんなさい
大地は決して疲れないから
[#ここで字下げ終わり]
例によって出鱈目の歌だが、その出鱈目にも相当に根拠はあるのです。
どう根拠があるということは、当人には無論わからないが、駒井船長や、田山白雲の会話を聞き、また船長から口うつしのお松の筆記の席に侍し、そんなこんなで、うろ覚えが興に乗じて、前後左右、交錯したり、焼直されたりして、飛び出して来るのですが、今の歌もまさしくその反芻《はんすう》に相違ない。お松もその歌詞をそっくり受取ったわけではないが、その音節を聞いていると平和であり、その歌調の表現は、悲観でも失望でもない、むしろ、積極的に、大地と自然とを謳歌《おうか》する歌になっているものですから、お松は、この島が豊かな土地であり、船長はじめ検分の一行も極めて無事満足に探検を進めて、希望に満ちているということを、こ
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