へやって来てくんな」
 こう言って、米友を小蔭に休らわせて置いて、自分は抜からぬ面で、いま顎で教えてやった一行の後をくっついて、再び岩倉三位の邸前まで取ってかえしたものです。

         十六

 そうして、動静《ようす》いかにと窺《うかが》っていると、この物々しい一行は、玄関へかかると、恭しく、先手が承って捧げた三宝を式台に置き、おごそかにその錦の覆いを払って、それから、一同はこれより三歩さがって、土下座をきりました。
「岩倉三位殿に献上!」
「岩倉三位殿に献上!」
 こう言って、土下座をきって跪《かしこ》まった一同が、異口同音に呼ばわったかと思うと、そのまま突立ち上り、踵《きびす》を返して、さっさともと来し門外へ取って返すものですから、ここでも、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が、すっかり拍子抜けがしてしまいました。
 これは、てっきり、こちとらと目的を同じうした東西のお歴々、壺振、中盆《なかぼん》、用心棒、の一隊と見て取って、直ちに諒解があって、玄関へ通されるか、裏手へ廻されるか、こっちの方もそれに準じてと、固唾《かたず》を呑んでいると、案に相違して、かくの如く、献上物を捧げっぱなしにしたままで、さっさともと来た道へ帰ってしまう。賭場の仁義にこんなことはない。
 そもそも、献上物ならば献上物のように、捧げる方ばっかりの片仁義というのはなく、受ける方にも相当の応接がなければならないのに、置きっぱなしの献上物というのが、どだい礼儀に叶《かな》わねえ、いってえ、何を献上に来やがったのかと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が、二つの眼を使いわけて、その玄関の式台に置据えられた三宝の上の錦のふくさと覚しいのを払った献上物というやつの現物を一眼見て、この野郎がまたしても、三斗の酢《す》を飲ませられたような面をしました。
「えッ……」
 何だ、何だ、何だてえんだ、ありゃいってい、人間の片腕じゃあねえか、イヤに当てつけやあがるぜ、人間の生腕《なまうで》が一本、三宝の上に置いてあるんだぜ、いってえ、何のおまじねえだ、当てつけるなら少々お門違いのようなものだが、あいつらの言った今の口上は、「岩倉三位殿に献上!」「岩倉三位殿に献上!」と吐《ぬ》かして、決して、「がんりき[#「がんりき」に傍点]の百様へ進上!」「がんりき[#「がんりき」に傍点]の百様へ進上!」とは聞え
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