グルリと一めぐり、裏門の方へ向ったが、どうも、ややともすると胸がドキついてならない。敵を見て、人見知りをするような兄さんとは兄さんが違うと、自分で力んでいるのだが、なんだか胸がドキつくというのは、考えてみると結局、あの今の頭のでっかい、色の黒い、眼つきの怖ろしく光る、あのおやじの眼つき、面つきが、変に頭に残ってならない。
 どうも、あのおやじは只物でねえ、人《にん》によって威光というやつはあるが、一眼であんなに睨みの利く奴にでくわしたことがねえ、どうもあれが魔をなすんだな。あの眼で、「何だ!」と言って、一睨みされた時から、おこりをわずらった。なんだか、この屋敷は怖《こわ》いよ、見たところ、下屋敷でべつだん用心の構えも厳しいというわけじゃあねえが、ちっとばかり犯し難いな、犯し難え気がするよ。
 こいつは一番、不破さんにからかわれたかな。関守先生、あれでなかなか業師《わざし》だから、何か所存あって、がんりき[#「がんりき」に傍点]めを囮《おとり》に使いたいために、わざわざこんなところへ反間の手を食ったかな。だが、タカの知れたこのヤクザ野郎を、かついでみたところではじまらねえ話さ。よしんば、かつがれたところでおれはいいが、この同行の兄さんに気の毒だ。昨日から重い荷物をかつぎ通し、これが自分のものになるじゃなし、あっちへかつぎ、こっちへかつぎ、いいかげん御苦労さま――という気持で、思わず米友を見返ったが、その途端、それそれ、この金袋が物を言うよ、不破さんがおっしゃるだけじゃねえ、この金袋が物を言う、こいつも洛北岩倉村を目にかけて来たお金だ、すいきょうで大金を餅につく奴もあるめえじゃねえか、事は正真いつわり無し。
 金の袋を見てまた巻直しという心で、この屋敷の裏手へ廻ったが、やっぱり何となしにドキつく。水を汲んでいる姉さんに、そっと物をたずねて――
「姉や、この屋敷はいったい、どなたのお屋敷なんだエ」
 そうすると、大原女《おはらめ》が答えて言うには、
「岩倉三位《いわくらさんみ》さんのお邸《やしき》どすえ」
「岩倉三位――中納言様とは違いますかねえ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百には、三位と中納言のさか[#「さか」に傍点]がわからない。中納言にも、百五十石から六十四万石まであるのだから、たいがい戸惑いしているところへ、三位ときた日にはまたわからなくなった。
 そこ
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