藤兄《ふじあに》いといって、姪《めい》を孕《はら》ませて子まで産ませて追ん出した上に、それを板下《はんした》に書いて売出した当代の甘いおやじさんだ、文書きの方では古顔なんだが、近ごろ拙者の子分同様になりやんした、よろしく頼む」
高飛車に出られたので、鐚もあっけに取られていると、
「さあ、お爺《とっ》さん、こっちへ来て、芸娼院の人別に入れてもらいねえよ、これがお安いところの鐚公というおっちょこちょいだ、お見知り置きなせえ」
と言うから、鐚が木口の後ろを見ると、いかにも人のよさそうな老爺《おやじ》が一人、なべーんとした面《かお》をして、しょんぼりと控えている。その姿を見て、鐚が、なるほど姪を孕まして、板下に書いて売出しそうなおやじだ、至極お人よしだなと思いました。だが、いい年をして、木口あたりの手下になって、頭を下げに来る、老爺の人のよい姿を見ると、鐚も物の哀れを感じないわけにはゆきません。
木口の後ろには、まだ、これを親分と頼むイカモノが多分に控えている。これらを押並べて、
「さあ、面《つら》が揃《そろ》ったら、ひとつここでパチリとやってくんな」
当時、舶来の珍しいはやどり機械を据えた三下奴――
「爺《とっ》つぁん、お前《めえ》も下っぱの方へ坐りな」
信州から来た木曾の藤爺《ふじじい》さんを、下っぱに押据えて、木口勘兵衛尉源丁馬が傲然《ごうぜん》として正座に構えたところを見ると、さすがの鐚も悲鳴をあげ、
「トテモ受けきれねえ」
と言って、逃げ出してしまいました。
下駄をひっ提《さ》げて、溝板のところをほうほうの体《てい》で逃げ出した鐚助――
「どうもはや、木口勘兵衛ときては、さしもの鐚も受けきれねえよ、あいつ、イカモノ作りの四国猿のくせに、いやにアブク銭の銭廻りがいいもんだから、トカク銭の力で、八方|袖《そで》の下撫斬流《したなでぎりりゅう》と来るから受けきれねえ」
七十七
勝安房守が二条城で任官して後のこと、近藤勇と、土方歳三の二人が、慷慨淋漓《こうがいりんり》として、二条城の天主台の上に立って、洛中洛外の大観を見澄ましておりましたが、やがて近藤が言うことには、
「どうだ、土方、おれに十万石を与えれば、ここにいて天下を定めてしまうが、あったら城に主がないなあ」
そうすると、土方がこれに答えて、
「あえて十万石とは言わない、五千の兵
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