乗りは聞くが、さあ、どれが日本一だと聞かれたら上方でも困るだろう、道庵も人に聞かれて、その点、常にいささかテレている、今度という今度は、ひとつ、京大阪の酒という酒を飲み抜いて、道庵先生御推賞、日本一という極《きわめ》をつけて帰りてえものだ」
「いや、それは先生を煩わすことなく、もう出来ておりますよ、日本一の酒という極めつきは……」
「おやおや、道庵の承認なしに酒の日本一をきめるなんて、不届な話だ、万一、道庵が不服を唱えたら、どうするつもりだろう、一番そいつの再検討をしてみてえ、その日本一の極めつきの酒というのは、いったい、なんという酒で、ドコから出ますねえ」
「これより少々南の方、河内の国の天野酒、これが日本一という定評《きわめ》になっております」
「うむ――河内の国の天野酒、聞いたことのある名だ、これはひとつ、道庵が再吟味をする必要がある」
と言って、その翌日、飄々《ひょうひょう》として出かけて帰らないところを見ると、河内の国までのしたのかも知れません。
七十六
さて、江戸の方面に於ける軟派、鐚《びた》は鐚で、このごろ少し憂鬱《ゆううつ》になっている。
鐚としては、せっかくのヒットたる芸娼院の方も、開店休業の姿だから、なんとかせねばなるまいが、いやはや、手をつけてみると、そのややこしいこと、それで少々気を腐らせているという次第です。
芸娼の芸娼たる所以《ゆえん》のものを説いて聞かせても、世間はなかなかわかってくれない。とりあえず鐚の方へ持ちこまれた苦情のうちの一つに――
いやしくも芸と名のつく以上、ナゼ役者を入れない、芸人の王たる役者を入れないとはなにごとだ――と力んで来た!
それから、芸事の芸事たるめききというものは、その道のものがしなければならない、金茶や木口の輩《やから》が、御右筆《ごゆうひつ》の下っぱのおっちょこちょいを相手に、人選をするとは怪しからん。
と言って、膝詰めで来たものもあれば、ビタちゃんのお袖にすがって、ぜっぴ、お刺身のツマになりともありつきたい、と歎願に及んで来た奴もある。
その辺は、ビタちゃんだって心得たものなんだが、何を言うにもそれ、役者の方から言ってみるてえと、愚左衛門を入れれば、轟四郎《ごうしろう》が納まらないし、毒五郎をのけて戸団次に戸惑いをさせるわけにもいかねえ、そうなるとまた、土右衛門《つち
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